例えば、前漢の歴史を述べた『漢書』地理志(かんじょちりし)によれば、紀元前1世紀頃の「倭人(わじん) 」社会は百余国、つまり100余りの国に分かれ、楽浪郡(らくろうぐん)に使者を送ったとされています。
楽浪郡とは朝鮮半島に置かれた四郡の一つで、当時は前漢の直轄地(ちょっかつち)でした。こちらで学習しましたね。
尚、「倭」は中国から見た当て字で、なぜ我が国にその名がつけられたかについては様々な説があります。ちなみに私は、おそらく日本人が大切にする「和」から伝わったのではないかと考えています。
「倭」には本来悪い意味が込められているとされており、そうだとすれば中華思想による差別意識が感じられますね。




いつも有難うございます。
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とまと こんにちは(^o^)
いつもご訪問&コメントをありがとうございます。
ゆっくりお伺いできなくて、申し訳ありません。
感謝のぽち~♪
とまと様
黒田裕樹 いつも有難うございます。
私もとまと様の「講義」でしっかり「勉強」させていただいております♪
今回はもちろん、とまと様の次回の更新も楽しみにしております。
bunyan こんにちは
コメントありがとうございました。
黒田さん、早とちりされましたよ。
行くのは明日です(笑)
bunyan様
黒田裕樹 …失礼しました<m(_ _)m>
ついつい早合点してしまったようで…。
明日もいい天気のようですので、良い写真が撮れますようお祈りします。
さすらい こんばんは。
中国と我が国は
古くからの付き合いですよね。
現代でも、もっと仲良くしたいものです。
応援♪
さすらい様
黒田裕樹 おっしゃるとおりと思いますが、中華思想の国とのお付き合いは今も昔も大変ですね。
またお越し下さい。
.
山田 「ワ」は単純に自分たちの民族を表す語なんじゃないですかね。
ワタシ、ワレ、ワガ、なんていうように、自分自身を示す日本語が「わ」の活用で言われますから、そのような意味を言ったのではないでしょうか。
民族学の世界では常識かと思いますが
自国の名前を表現する語を持たない民族は、大抵自分らや人そのものを示す彼らの語を持って、他国からは呼称されるようになります。
そもそも他国と外交関係の無い民族は、自分ら以外の国は無いので、示す語を持たないことが多いのです。
「倭」「わ」というのは、日本語から察するに、自己を示す日本語のことだろうと思います。
それをもって当時の中国人は日本列島に住む民族の名前としたのではないかと。
「和」を国名にしていくのは、その後他国との外交関係が盛んになりナショナリズムが高まりそう自国でも定義していったのではないかと。
あとは日本語で「わ」というと「輪」があります。これの可能性もありますが、
そもそも「輪」、円環を示す「わ」は太陽から来てるのかなとも思われ、自分自身の「わ」と根本では通じてるような気もしています。
山田さんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
確かにそのような説もありますね。
当時の我が国には文字がありませんでしたから、自分たちを指すのに「ワ」を用いたり、つながりや日輪を現す「輪」も十分に考えられます。
後者の場合は「太陽の国=日本」にも通じますし、様々な考えがあって良いですね。
いつもご訪問&コメントをありがとうございます。
ゆっくりお伺いできなくて、申し訳ありません。
感謝のぽち~♪
私もとまと様の「講義」でしっかり「勉強」させていただいております♪
今回はもちろん、とまと様の次回の更新も楽しみにしております。
コメントありがとうございました。
黒田さん、早とちりされましたよ。
行くのは明日です(笑)
ついつい早合点してしまったようで…。
明日もいい天気のようですので、良い写真が撮れますようお祈りします。
中国と我が国は
古くからの付き合いですよね。
現代でも、もっと仲良くしたいものです。
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またお越し下さい。
ワタシ、ワレ、ワガ、なんていうように、自分自身を示す日本語が「わ」の活用で言われますから、そのような意味を言ったのではないでしょうか。
民族学の世界では常識かと思いますが
自国の名前を表現する語を持たない民族は、大抵自分らや人そのものを示す彼らの語を持って、他国からは呼称されるようになります。
そもそも他国と外交関係の無い民族は、自分ら以外の国は無いので、示す語を持たないことが多いのです。
「倭」「わ」というのは、日本語から察するに、自己を示す日本語のことだろうと思います。
それをもって当時の中国人は日本列島に住む民族の名前としたのではないかと。
「和」を国名にしていくのは、その後他国との外交関係が盛んになりナショナリズムが高まりそう自国でも定義していったのではないかと。
あとは日本語で「わ」というと「輪」があります。これの可能性もありますが、
そもそも「輪」、円環を示す「わ」は太陽から来てるのかなとも思われ、自分自身の「わ」と根本では通じてるような気もしています。
確かにそのような説もありますね。
当時の我が国には文字がありませんでしたから、自分たちを指すのに「ワ」を用いたり、つながりや日輪を現す「輪」も十分に考えられます。
後者の場合は「太陽の国=日本」にも通じますし、様々な考えがあって良いですね。