光仁天皇はもちろん皇室の血を引いておられましたが、実は天智天皇の孫にあたられました。壬申(じんしん)の乱以来、天武系で占められていた天皇の地位が、約100年ぶりに天智系に復帰したことになります。なお、天智天皇の血統は、現代の皇室にも受け継がれておられます。
光仁天皇は、白壁王の時代に他の皇族が権力闘争で次々と生命を落としていくのを横目にしながら、自らは飲酒を続けて野心のないことをアピールし続けていたという苦労されたご経験の持ち主で、ご即位されたときには既に62歳になっておられました。
こうした経緯もあったことから、感謝のお気持ちを持たれた光仁天皇は、藤原百川や藤原永手など藤原氏の一族を重く用いられ、以後は光仁天皇とその信任を受けた藤原氏によって、律令政治の再建が目指されました。なお、藤原百川は四兄弟の宇合(うまかい)の子で、藤原永手は房前(ふささき)の子にあたります。
こうして、100年にも満たない短い間に繰り広げられた勢力争いは、最終的には藤原氏の手に引き継がれ、以後も藤原氏は政治に積極的に関わっていくことになるのです。ちなみに、称徳天皇と道鏡が禁止した墾田の私有は、光仁天皇のご即位後に再開されています。また、仏教勢力を排除する傾向は、やがて迎える「新たな時代」に向けての大きな流れのひとつとなったのでした。
※下記の映像は8月30日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
光仁天皇。
まるで赤穂浪士の討ち入りの
大石内蔵助の様みたいですね(^_^;)
もっとも、時代はそれよりも
随分前の話でしょうから、内蔵助のほうが
真似たのかもw
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、言われてみれば…ですね。
900年以上の時を超えたロマンがあったのかもしれません。
光仁天皇。
まるで赤穂浪士の討ち入りの
大石内蔵助の様みたいですね(^_^;)
もっとも、時代はそれよりも
随分前の話でしょうから、内蔵助のほうが
真似たのかもw
900年以上の時を超えたロマンがあったのかもしれません。