武貞には既に嫡子(ちゃくし、跡継ぎ=あとつぎのこと)である清原真衡(きよはらのさねひら)がいましたが、未亡人と藤原経清との間の連れ子である清原清衡(きよはらのきよひら)を養子とし、また未亡人との間に清原家衡(きよはらのいえひら)が生まれました。武貞の子はいずれも父親もしくは母親が異なるという複雑な関係となり、兄弟同士の不仲をもたらしました。
こうした兄弟同士の不仲が、やがて清原氏の内紛(ないふん)を引き起こし、ついには兄弟同士で大きな戦乱になってしまいました。1083年から1087年まで続いたこの戦いのことを、後三年の役(ごさんねんのえき)といいます。さて、この内紛に乗じて源氏による陸奥の支配を目指した源義家(みなもとのよしいえ)は、朝廷から陸奥守(むつのかみ)を拝命(はいめい、官職を受けること)して後三年の役に積極的にかかわりました。
戦いは1087年に藤原経清の遺児(いじ)である清原清衡が勝利して終わりましたが、言わば清原氏の私闘(しとう)に参加しただけの源義家には朝廷から何の恩賞も与えられず、陸奥守の官職も1088年に辞めさせられました。
途方に暮れた義家は、自腹を切って部下に恩賞を与えましたが、皮肉にもこのことで義家は東国の武士たちの心をとらえ、源氏を棟梁と仰(あお)ぐ深い信頼関係が生まれました。
尚、前九年の役は11年、後三年の役は4年続いているのになぜ「九年」「三年」と名づけられているかについては、様々な説が挙げられていますが、正確には分かっていません。




いつも有難うございます。
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JJSG こんばんは。
歴史は、やっぱりくり返されてますね。
人間関係模様は、細かいことを抜きにして、抜本的には、同じようなことで争ったり、くっついたり、してる。
現代になっても、さほど変わりませんね。
人間とは、学習能力のない生き物なのかもしれません。
いや、学習はしているけれども、どうにもならない業を持っているということなのでしょうねぇ。
わかっちゃいるけど、やめられない。
そういうことなのでしょう。
やられました
オバrev なんと後三年の役に勝利したのは、藤原氏か!って摂関家とは違う藤原氏ですか?
>尚、前九年の役は11年、後三年の役は4年続い>ているのになぜ「九年」「三年」と名づけられているか>については・・・
おぉ、いよいよその訳が、キタ━━━☆。:+ヾ(*゚∀゚*)ノ+:。☆━━━ッ!
>様々な説が挙げられていますが、正確には分かっていません
☆ミ( ノ_ _)ノ=3 ドテッ!!・・・ヤラレマシタ
JJSGさんへ
黒田裕樹 確かに、同じことを繰り返すのが、人間の業なのかもしれませんね。
人が複数いれば、争いが起きる。人類の歴史はこの繰り返しといってもいいでしょう。
ただ、そんな中、少しでも前を向いていける道しるべが存在するのであれば―。
歴史教育が、その助けの一つになるかもしれません。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > なんと後三年の役に勝利したのは、藤原氏か!って摂関家とは違う藤原氏ですか?
藤原秀郷の血を引いているとされていますから、摂関家とはかなり縁遠い藤原氏といって差し支えないでしょう。歴史のややこしいところでもありますが(^^ゞ
> >様々な説が挙げられていますが、正確には分かっていません
>
> ☆ミ( ノ_ _)ノ=3 ドテッ!!・・・ヤラレマシタ
期待させてすみません(´・ω・`)
実際に様々な説があるんですが、これといった決定的なのがまだ出ていないんですよね。
紗那 あ、勘違いしてました。
後三年は単なるお家騒動だったんですね。
なんかまた、清原氏が反乱したんだ、と勝手に思い込んでました・・・ 先入観怖いです。
源義家が、慕われたのは「怪我の功名」というやつでしょうか。違うか。そうですか←
でも、自腹を切って恩賞とはすばらしい人物ですねー。
やはり、前九年と後三年の命名の由来は不明ですか。
紗那さんへ
黒田裕樹 > あ、勘違いしてました。
> 後三年は単なるお家騒動だったんですね。
> なんかまた、清原氏が反乱したんだ、と勝手に思い込んでました・・・ 先入観怖いです。
そうですね。「この事件はこれが原因だろう」「こういう話を聞いたことがある」と思い込んだ場合、それが間違った知識であれば要注意です。講座を開設している私も気をつけなければいけません。
> 源義家が、慕われたのは「怪我の功名」というやつでしょうか。違うか。そうですか←
> でも、自腹を切って恩賞とはすばらしい人物ですねー。
義家としては完全に「思惑が外れた」格好になりましたからね。でも結果としてそれで源氏が慕われる訳ですから、何が幸いするか分かりません。ここは「怪我の功名」でいいと思いますよ。
> やはり、前九年と後三年の命名の由来は不明ですか。
残念ながら、これといった有力な説がないんですよね。おそらくは年数を読み間違えたのがそのまま定着したような気がしますが…。ただ、年数が違うことで、かえって覚えやすいような気がします。
馬人 「きよはらのきよひら」って面白い名前だt(ry
「三年」とか「九年」の語源って気になります…。
正確にはわかってないんですか^^;
馬人さんへ
黒田裕樹 > 「きよはらのきよひら」って面白い名前だt(ry
たしかに「きよ」が二つ続きますからね。もっとも、今日(17日)の更新にあるように、この名前は後三年の役の後に藤原姓に戻してしまうんですが、この理由って、ひょっとしたら「きよ」が二つ続くのが嫌だったからとか(笑)。あ、もちろん冗談ですよ(^^♪
> 「三年」とか「九年」の語源って気になります…。
> 正確にはわかってないんですか^^;
色んな理由があるんですよ。例えば、前九年の役が1051年から62年まで足掛け12年なんですが、これを「前九年」「後三年」と分けてしまっているとかですね。
歴史は、やっぱりくり返されてますね。
人間関係模様は、細かいことを抜きにして、抜本的には、同じようなことで争ったり、くっついたり、してる。
現代になっても、さほど変わりませんね。
人間とは、学習能力のない生き物なのかもしれません。
いや、学習はしているけれども、どうにもならない業を持っているということなのでしょうねぇ。
わかっちゃいるけど、やめられない。
そういうことなのでしょう。
>尚、前九年の役は11年、後三年の役は4年続い>ているのになぜ「九年」「三年」と名づけられているか>については・・・
おぉ、いよいよその訳が、キタ━━━☆。:+ヾ(*゚∀゚*)ノ+:。☆━━━ッ!
>様々な説が挙げられていますが、正確には分かっていません
☆ミ( ノ_ _)ノ=3 ドテッ!!・・・ヤラレマシタ
人が複数いれば、争いが起きる。人類の歴史はこの繰り返しといってもいいでしょう。
ただ、そんな中、少しでも前を向いていける道しるべが存在するのであれば―。
歴史教育が、その助けの一つになるかもしれません。
藤原秀郷の血を引いているとされていますから、摂関家とはかなり縁遠い藤原氏といって差し支えないでしょう。歴史のややこしいところでもありますが(^^ゞ
> >様々な説が挙げられていますが、正確には分かっていません
>
> ☆ミ( ノ_ _)ノ=3 ドテッ!!・・・ヤラレマシタ
期待させてすみません(´・ω・`)
実際に様々な説があるんですが、これといった決定的なのがまだ出ていないんですよね。
後三年は単なるお家騒動だったんですね。
なんかまた、清原氏が反乱したんだ、と勝手に思い込んでました・・・ 先入観怖いです。
源義家が、慕われたのは「怪我の功名」というやつでしょうか。違うか。そうですか←
でも、自腹を切って恩賞とはすばらしい人物ですねー。
やはり、前九年と後三年の命名の由来は不明ですか。
> 後三年は単なるお家騒動だったんですね。
> なんかまた、清原氏が反乱したんだ、と勝手に思い込んでました・・・ 先入観怖いです。
そうですね。「この事件はこれが原因だろう」「こういう話を聞いたことがある」と思い込んだ場合、それが間違った知識であれば要注意です。講座を開設している私も気をつけなければいけません。
> 源義家が、慕われたのは「怪我の功名」というやつでしょうか。違うか。そうですか←
> でも、自腹を切って恩賞とはすばらしい人物ですねー。
義家としては完全に「思惑が外れた」格好になりましたからね。でも結果としてそれで源氏が慕われる訳ですから、何が幸いするか分かりません。ここは「怪我の功名」でいいと思いますよ。
> やはり、前九年と後三年の命名の由来は不明ですか。
残念ながら、これといった有力な説がないんですよね。おそらくは年数を読み間違えたのがそのまま定着したような気がしますが…。ただ、年数が違うことで、かえって覚えやすいような気がします。
「三年」とか「九年」の語源って気になります…。
正確にはわかってないんですか^^;
たしかに「きよ」が二つ続きますからね。もっとも、今日(17日)の更新にあるように、この名前は後三年の役の後に藤原姓に戻してしまうんですが、この理由って、ひょっとしたら「きよ」が二つ続くのが嫌だったからとか(笑)。あ、もちろん冗談ですよ(^^♪
> 「三年」とか「九年」の語源って気になります…。
> 正確にはわかってないんですか^^;
色んな理由があるんですよ。例えば、前九年の役が1051年から62年まで足掛け12年なんですが、これを「前九年」「後三年」と分けてしまっているとかですね。