水野の方針を耳にした景元は、直ちに反対しました。若い頃から世情に通じていた景元にとって、庶民のささやかな娯楽である寄席や歌舞伎を廃止することは、絶対に認められなかったのです。
景元の意見に対して、将軍家慶も同調したこともあり、寄席は数を減らされたうえに興行の内容が制限され、また歌舞伎が当時は江戸の郊外だった浅草に強制的に移転させられたものの、それぞれ廃止を免れることができました。
江戸の庶民や、あるいは寄席や歌舞伎の関係者は、身体を張って自分たちのために力を尽くしてくれた景元に対して深く感謝しましたが、このことが、やがてひとつの大きな「効果」をもたらすことになります。
※下記の映像は7月19日までの掲載分をまとめたものです。
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いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
確かに今でも浅草には歌舞伎の公会堂が存在していますものね。
この頃のお触れでそう言う事になった訳ですか・・
また一つ勉強になりましたm(_ _)m
オバrev まるで北風と太陽ですね。
型にはまった、マイナス思考の、完璧主義みたいで、息が詰まりそう(゚_゚i)タラー
景気は良くなりようがないですよね。
かと言って、締りがないのもワヤクチャになるだろうし、やはり自由を担保した上で、ある程度の規制っていう、バランスなんかなぁ(・・?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
浅草の繁栄は、歌舞伎も一役買っているんですよね。
廃止されなくて本当に良かったです。
オバrevさんへ
黒田裕樹 規制があり過ぎるのが天保の改革の頃なら、締まりがないのが大御所時代とでもいうべきでしょうか…。
庶民は息が詰まらない方が好みですね。もっとも、そのためには安全保障がしっかりとしているのが最低条件ですが。
確かに今でも浅草には歌舞伎の公会堂が存在していますものね。
この頃のお触れでそう言う事になった訳ですか・・
また一つ勉強になりましたm(_ _)m
型にはまった、マイナス思考の、完璧主義みたいで、息が詰まりそう(゚_゚i)タラー
景気は良くなりようがないですよね。
かと言って、締りがないのもワヤクチャになるだろうし、やはり自由を担保した上で、ある程度の規制っていう、バランスなんかなぁ(・・?
浅草の繁栄は、歌舞伎も一役買っているんですよね。
廃止されなくて本当に良かったです。
庶民は息が詰まらない方が好みですね。もっとも、そのためには安全保障がしっかりとしているのが最低条件ですが。