院政が盛んとなった頃には、皇族や上級貴族に一国の知行(ちぎょう、領地を支配すること)を任せて、そこから収益を得る知行国(ちぎょうこく)の制度や、院自身が知行国を支配する院分国(いんぶんこく)の制度が広まりました。国の領地である国衙領(こくがりょう)は、次第に院や知行国主(ちぎょうこくしゅ)、あるいは国司の私領と化して、院政を支える経済的基盤となりました。
また、かつては摂関家に集中していた寄進地系荘園(きしんちけいしょうえん)が、新たに政治の実権を握った院に集中し、不入(ふにゅう)の権に警察権の排除も含まれるなど、不輸(ふゆ)や不入の特権が強化されることによって、荘園の独立性が強まりました。
一方、院と同様に荘園の寄進が集中した大寺院では、自衛のために下級僧侶(そうりょ)や荘園の農民を僧兵(そうへい)として組織しました。大寺院では僧兵を使用して国司と争い、また自らの要求を通すために、奈良の興福寺(こうふくじ)では春日大社(かすがたいしゃ)の神木(しんぼく、神社の境内に植えられた神聖な木のこと)を、比叡山(ひえいざん)の延暦寺(えんりゃくじ)では日吉大社(ひよしたいしゃ)の神輿(しんよ、神社の祭礼に使用する「みこし」のこと)を先頭に立てて京都へ乱入し、朝廷へ強訴(ごうそ)することもありました。
朝廷は自前の軍隊を持っていなかったので、これらの圧力に対抗するために源氏や平氏といった武士を用いて警護や鎮圧にあたらせましたが、このことがやがて武士の中央政界への進出をもたらすことになりました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
源氏と平氏はここ辺りから、登場したんですか・・
いつも勉強になりますm(_)m
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 源氏と平氏はここ辺りから、登場したんですか・・
そうですね。院政が始まる頃には源氏も平氏も歴史の表舞台にはっきりと登場していました。このあたりの話はもうすぐ講座でも紹介できると思いますよ(^o^)丿
> いつも勉強になりますm(_)m
有難うございます(^o^)丿
いつものお言葉、そのたびに励みになります。
ケンシロウ こんにちは。
(‥ )ン?と思いながら
不輸を不倫と読んだおいらは
完全に負け組みだと自覚しましたw
黒田裕樹さんへ
りら 始めましてりらです。私はかねてより、院政をなぜするのか不思議でした。天皇のままでいれば良いのに退位して、天皇の位を譲りながら、権力を持ち続ける、その意味が黒田さんの説明で理解できました。ありがとうございました。「歴史は面白い」ですよね。これからも宜しくお願いします。
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 > 不輸を不倫と読んだおいらは
その発想は全く存在しませんでした(笑)。
不輸の権も不入の権も、荘園が繁栄する原因となった大事な権利ですので、今回を機会に是非理解なさって下さいね(^o^)丿
りらさんへ
黒田裕樹 こちらこそはじめまして。ご訪問ならびにお言葉、有難うございます。
仰るとおり、院政は一見なぜ行われたのか理由をつかみにくい政治制度です。しかし、摂関家によって奪われた政治の実権を取り戻すため、まず彼らの経済的基盤である荘園を整理令を出して奪い、続いて「天皇の父」という権威を利用し、新たに開発領主たちの支持勢力となるために、皇室が院政を始められた、という「歴史の流れ」さえ理解できれば大丈夫なのです。
こういった大きな流れさえつかむことができれば、仰るとおり「歴史は面白い」のです。拙いブログではありますが、今後も是非お越し下さい。
役者が揃い過ぎ?
オバrev おっと~!ここで源平がでてきますか。
院に大寺院に藤原氏(どこへいっちゃたの?)に武士と役者が増えて、ますます複雑になってきますね。どうなっていくんでしょうか。
でも歴史は、必然の方向へ流れ、その結果には必ず原因があるような気がします。だから流されないようにその時々で事実を検証することは大事ですよね。今現在もそうだと思います。
オバrevさんへ
黒田裕樹 ハイ、源平が登場です(笑)。いよいよ武士の世の中が近づいてきますね。
確かにこのあたりから役者がそろって、それぞれの思惑で歴史を動かしますから、ややこしくはありますが、面白くもなってきます。
仰るとおり、時代が求める体制に自然に収束していくのが歴史の流れだと思います。現在の我が国は、どの方向へ向かっているのでしょうか…。
紗那 ここで、法皇さんの登場ですね?出家した天皇ですよね。うん、大丈夫だ。
あれ?荘園の支配者が変わっただけ・・・ 貴族も天皇も考えることは一緒なのですねー。
僧兵さん出ましたね。 どこぞの天皇さんが、「さいころと加茂川と僧兵以外のことなら何でも出来る」と仰ってましたが・・・ 当時は、やはり朝廷側が武装していなかったのが、朝廷が怖がる原因だったんでしょうか?
PS
親政、分かりました! 自ら政治を行うってことなんですね!てか、あの記事読んだことある気がするorz
歴史の必然性
kenちゃんマイド 世の中の流れには何事もその必然性がありますね。今回の自民から民社への移行も後世からみると必然性があるのでしょう。後の後醍醐天皇もこの時期をめざしたのですか?世にいう「建武の新政」はこの時期を理想としたのですか?
紗那さんへ
黒田裕樹 > ここで、法皇さんの登場ですね?出家した天皇ですよね。うん、大丈夫だ。
そうです。法皇=出家した上皇です。これから結構出てきますよ(^_^)v
> あれ?荘園の支配者が変わっただけ・・・ 貴族も天皇も考えることは一緒なのですねー。
これもそのとおりです。荘園そのものの制度が変わらなかったことで、不満に思った層があるんですよね。それがやがて…。
> 僧兵さん出ましたね。 どこぞの天皇さんが、「さいころと加茂川と僧兵以外のことなら何でも出来る」と仰ってましたが・・・ 当時は、やはり朝廷側が武装していなかったのが、朝廷が怖がる原因だったんでしょうか?
さすがに良くご存知ですね(^o^)丿
仰った言葉は、本日(13日)の記事に出てますよ。
> PS
> 親政、分かりました! 自ら政治を行うってことなんですね!てか、あの記事読んだことある気がするorz
今回でしっかり理解できれば大丈夫ですよ(^^♪
kenちゃんマイドさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、摂関家が政治を取り仕切っていることに不満を持った層が、雪崩をうって院へと支持を変更したのが今回の流れです。ただ、支配者が替わっても中味が変わらないと分かったときの失望が、やがて大きなエネルギーになっていくわけですね。
「建武の親政」の理想となったのは、後醍醐天皇が自ら追号を選ばれたほど尊敬されていた醍醐天皇や、村上天皇の時代の「延喜・天暦の治」です。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-219.html
源氏と平氏はここ辺りから、登場したんですか・・
いつも勉強になりますm(_)m
応援凸
そうですね。院政が始まる頃には源氏も平氏も歴史の表舞台にはっきりと登場していました。このあたりの話はもうすぐ講座でも紹介できると思いますよ(^o^)丿
> いつも勉強になりますm(_)m
有難うございます(^o^)丿
いつものお言葉、そのたびに励みになります。
(‥ )ン?と思いながら
不輸を不倫と読んだおいらは
完全に負け組みだと自覚しましたw
その発想は全く存在しませんでした(笑)。
不輸の権も不入の権も、荘園が繁栄する原因となった大事な権利ですので、今回を機会に是非理解なさって下さいね(^o^)丿
仰るとおり、院政は一見なぜ行われたのか理由をつかみにくい政治制度です。しかし、摂関家によって奪われた政治の実権を取り戻すため、まず彼らの経済的基盤である荘園を整理令を出して奪い、続いて「天皇の父」という権威を利用し、新たに開発領主たちの支持勢力となるために、皇室が院政を始められた、という「歴史の流れ」さえ理解できれば大丈夫なのです。
こういった大きな流れさえつかむことができれば、仰るとおり「歴史は面白い」のです。拙いブログではありますが、今後も是非お越し下さい。
院に大寺院に藤原氏(どこへいっちゃたの?)に武士と役者が増えて、ますます複雑になってきますね。どうなっていくんでしょうか。
でも歴史は、必然の方向へ流れ、その結果には必ず原因があるような気がします。だから流されないようにその時々で事実を検証することは大事ですよね。今現在もそうだと思います。
確かにこのあたりから役者がそろって、それぞれの思惑で歴史を動かしますから、ややこしくはありますが、面白くもなってきます。
仰るとおり、時代が求める体制に自然に収束していくのが歴史の流れだと思います。現在の我が国は、どの方向へ向かっているのでしょうか…。
あれ?荘園の支配者が変わっただけ・・・ 貴族も天皇も考えることは一緒なのですねー。
僧兵さん出ましたね。 どこぞの天皇さんが、「さいころと加茂川と僧兵以外のことなら何でも出来る」と仰ってましたが・・・ 当時は、やはり朝廷側が武装していなかったのが、朝廷が怖がる原因だったんでしょうか?
PS
親政、分かりました! 自ら政治を行うってことなんですね!てか、あの記事読んだことある気がするorz
そうです。法皇=出家した上皇です。これから結構出てきますよ(^_^)v
> あれ?荘園の支配者が変わっただけ・・・ 貴族も天皇も考えることは一緒なのですねー。
これもそのとおりです。荘園そのものの制度が変わらなかったことで、不満に思った層があるんですよね。それがやがて…。
> 僧兵さん出ましたね。 どこぞの天皇さんが、「さいころと加茂川と僧兵以外のことなら何でも出来る」と仰ってましたが・・・ 当時は、やはり朝廷側が武装していなかったのが、朝廷が怖がる原因だったんでしょうか?
さすがに良くご存知ですね(^o^)丿
仰った言葉は、本日(13日)の記事に出てますよ。
> PS
> 親政、分かりました! 自ら政治を行うってことなんですね!てか、あの記事読んだことある気がするorz
今回でしっかり理解できれば大丈夫ですよ(^^♪
「建武の親政」の理想となったのは、後醍醐天皇が自ら追号を選ばれたほど尊敬されていた醍醐天皇や、村上天皇の時代の「延喜・天暦の治」です。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-219.html