飢饉によって、農村や都市部では貧窮者(ひんきゅうしゃ)があふれ返り、また追いつめられた農民や庶民らが、激しい一揆や商家に対する打ちこわしを続発させました。
このような全国的な大飢饉に対して、幕府や各藩は適切な救民対策を行うことはなく、逆に商家と結託してコメを買い占めることで、暴利をむさぼる行為が目立ちました。
「天下の台所」と呼ばれ、全国から様々な物資が集まるはずの大坂においても、容赦ない買い占め行為によってコメ不足となり、多くの人々が飢えに苦しみました。そんな様子を見かねた、大坂町奉行の与力(よりき)をかつて務めていた一人の男が、何度も窮状(きゅうじょう)を奉行所へ訴えましたが、幕府への点数稼ぎのために積極的に江戸へコメを回していた役人が、彼の献策に聞く耳を持つはずがありませんでした。
その元与力の男の名を、大塩平八郎(おおしおへいはちろう)といいました。
※下記の映像は7月2日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんにちは!
大塩平八郎と言う名前は歴史で
勉強させて頂きましたが、
元与力であったという経緯までは
全く存じませんでした。
しかも窮地だというのに、幕府への
点数稼ぎの為にコメを回していた
役人が居たという事自体
呆れてモノが言えませんね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 この当時の幕府の政治体制を思えば、崩壊が近かったのはまぎれもない事実ですね。
大塩平八路の怒りも当然です。
大塩平八郎と言う名前は歴史で
勉強させて頂きましたが、
元与力であったという経緯までは
全く存じませんでした。
しかも窮地だというのに、幕府への
点数稼ぎの為にコメを回していた
役人が居たという事自体
呆れてモノが言えませんね!
大塩平八路の怒りも当然です。