それなのに、マスコミや出版社の多くが「天皇が神格化を否定した」という、詔書のほんの一部に過ぎず、かつ陛下の本当のご意思とは全く異なる部分だけを取り上げて「人間宣言」ともてはやし、ついには歴史教科書にまで記載されてしまっているのです。なぜこのような誤解が生まれてしまっているのでしょうか。
さて、同じ昭和21(1946)年正月の歌会始において、昭和天皇は以下の御製をお詠みになられました。
「ふりつもる み雪にたへて 色かへぬ 松ぞ雄々(おお)しき 人もかくあれ」
終戦直後の絶望感が漂(ただよ)う中であっても、雪の中の青々とした松のように国民も強く生きて欲しいという、昭和天皇の国民への思いやりが込められています。またこの頃、陛下は国民を慰めるためには自分がどうすればよいのかをお考えになり、そのための行動に移ろうとされておられました。
※下記の映像は5月6日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
そうですよね。
胸襟を開く慈悲の心をお持ちで
接して来られた天皇陛下の
姿が、国民の心にも深く届いたのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
だからこそ、陛下の崇高なるお考えを「人間宣言」と曲解したことには違和感を覚えます。
そうですよね。
胸襟を開く慈悲の心をお持ちで
接して来られた天皇陛下の
姿が、国民の心にも深く届いたのでしょうね。
だからこそ、陛下の崇高なるお考えを「人間宣言」と曲解したことには違和感を覚えます。