昭和天皇のお言葉を聞いたマッカーサーは「われ神を視たり!」と大いに感動して、それまで陛下の前で椅子に座り、足を組んでパイプをくわえたままの姿勢からやおら立ち上がると、抱きつかんばかりに陛下と握手を交わしました。なお、マッカーサーは後に当時の心境を「この瞬間、私の前にいる天皇が日本の最上の紳士であることを感じとった」と述懐しています。
会見が終了して昭和天皇がお帰りになる際には、マッカーサーは自ら玄関まで出て陛下を見送りました。たった一度の会見だけで、マッカーサーは陛下のお人柄の虜(とりこ)となってしまっていたのです。
マッカーサーの態度を豹変(ひょうへん)させたのは、昭和天皇が強く感じておられた戦争に関する責任のお気持ちでした。先述のとおり、大東亜戦争の開戦そのものは、大日本帝国憲法の規定に従って手続きが進められ、昭和天皇は閣議決定の裁可をそのままお認めになられただけでした。
立憲君主制の原則から見ても、昭和天皇に直接の戦争責任があるとは到底認められないものでしたが、その一方で、陛下はご自身のお力で戦争を防ぐことができなかった「道義的責任」を強く感じておられました。だからこその「戦争責任のすべてはこの私にある」というお言葉だったのです。
※下記の映像は5月6日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
道義的責任ですか。。
確かに悩ましい問題ですよね。
私達の様に全くの民衆とは全く立場が
違うだけに、相当の苦悩だった事でしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 国家元首たる陛下のお立場としては、本文にもあるように、戦争を止めることができなかった責任をずっとお感じだったのでしょう。そのお気持ちたるや、相当に強いものがおありだったのではと拝察します。
道義的責任ですか。。
確かに悩ましい問題ですよね。
私達の様に全くの民衆とは全く立場が
違うだけに、相当の苦悩だった事でしょうね。