年が明けた大正13(1924)年、摂政宮は以前より婚約されていた良子女王(ながこじょおう、後の香淳皇后=こうじゅんこうごう)とのご結婚式を行われ、震災の悪夢に打ちひしがれていた国民がこぞって喜ぶ慶事となりました。
しかし、禍福(かふく)はあざなえる縄のごとし。大正15(1926)年12月25日、かねてより療養されておられた大正天皇が、47歳の若さで崩御されました。深いお悲しみのなか、皇太子裕仁親王は直ちに践祚(せんそ、皇位の継承のこと)され、第124代天皇となられました。
同時に元号も「昭和」と改められました。昭和の由来は、中国最古の歴史書である書経(しょきょう)の「百姓昭明(ひゃくせいしょうめい)・協和萬邦(きょうわばんぽう)」であり、国民の平和と世界の繁栄への願いが込められていました。なお、江戸時代(1764年、田沼時代の頃)に同じ出典から「明和」という元号が制定されています。
昭和3(1928)年11月10日、新しい時代にふさわしく、京都御所で即位の礼が華やかに行われましたが、その一方で昭和2(1927)年には金融恐慌(きんゆうきょうこう)が起きるなど、我が国全体に不穏(ふおん)な空気が漂(ただよ)いつつありました。そして昭和4(1929)年には、昭和天皇にとって最初の大きな試練が訪れるのです。
※下記の映像は4月6日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
関東大震災の後のご結婚は国民の間に
希望の光をさぞかし見出した事でしょうね!
今回も大震災が起こった後に、
東京にオリンピックを招致出来た事で
批判も有りましたが、大なり小なり
日本国民の間には頑張ろうと言う
気力を頂いた気がしましたね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと思います。
禍福はあざなえる縄の如しと言いますが、絶望の後の希望ほど、有難いものはないですね。
関東大震災の後のご結婚は国民の間に
希望の光をさぞかし見出した事でしょうね!
今回も大震災が起こった後に、
東京にオリンピックを招致出来た事で
批判も有りましたが、大なり小なり
日本国民の間には頑張ろうと言う
気力を頂いた気がしましたね。
禍福はあざなえる縄の如しと言いますが、絶望の後の希望ほど、有難いものはないですね。