また、これとは別に秩禄処分と同じ明治9(1876)年に、士族の帯刀を禁じる廃刀令が出されており、二重の意味でそれまでの特権を奪われた士族の憤激は、次第に強くなっていきました。
こうした流れに加えて、急進的な近代化にこだわるあまり、日本の伝統を粗末に扱おうとした当時の明治政府への、日本精神からの異議申し立てという一面もあったことで、国内において「士族の反乱」が相次いで起きるようになりました。
その最たるものが、明治10(1877)年に西郷隆盛(さいごうたかもり)を中心として起きた西南の役(=西南戦争)ですが、半年以上にわたる激しい戦いに政府軍が勝利したことで、我が国の歴史が大きく動くことになりました。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
やはりこういうお話を伺うと
政府に楯突いてもどうしても勝ち目が無い
庶民の遣る瀬無さが
なんとも遺憾に思います(T_T)
やはり時代の潮流には逆らえない
のですかね・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、仰る一面は確かにありますね。
これも冷静な歴史の流れでもあります。
やはりこういうお話を伺うと
政府に楯突いてもどうしても勝ち目が無い
庶民の遣る瀬無さが
なんとも遺憾に思います(T_T)
やはり時代の潮流には逆らえない
のですかね・・
これも冷静な歴史の流れでもあります。