しかし、我が国の軍事力を支えていた多くの武士をいきなり路頭に迷わせてしまえば、大混乱のうえに、諸外国の侵略を招くのは目に見えていました。
また、欧米列強にも負けない近代的な軍隊を編成することも考えていた政府にとって、武士に頼らないためにも、すべての国民が兵役に服するべきであるとする、いわゆる「国民皆兵」が重要であると考えるようになりました。
国民皆兵は、初代の兵部大輔(ひょうぶたいふ)の大村益次郎(おおむらますじろう)が唱えていましたが、明治2(1869)年に暗殺されると、その遺志を継いだ山県有朋(やまがたありとも)によって具体化されました。





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ぴーち こんばんは!
皆兵の意図は、
単なる外国だけに意識を向けた方策
ではなく、国内の氾濫も同時に防ぐという
苦肉の策だった訳ですか・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 一つの事象には、今回に限らず様々な思惑が絡んでいることが良くあります。
それを見極め、大きな歴史の流れを実感するのも勉強ですね。
皆兵の意図は、
単なる外国だけに意識を向けた方策
ではなく、国内の氾濫も同時に防ぐという
苦肉の策だった訳ですか・・
それを見極め、大きな歴史の流れを実感するのも勉強ですね。