慶喜の内大臣の地位と天領を没収しなければ、徳川家に巻き返しの可能性を持たせてしまうと判断した新政府は、王政復古の大号令が発せられた12月9日の夜に、明治天皇ご臨席のもとで小御所(こごしょ)会議を開きました。
旧幕府側の前土佐藩主の山内容堂らは、この会議に前将軍の徳川慶喜が出席できないことを抗議しましたが、岩倉具視らが受けいれないなど話し合いは紛糾(ふんきゅう、意見や主張などが対立してもつれること)し、やがて休憩に入りました。
休憩時、岩倉は外で警備をしていた西郷に意見を求めると、西郷は「短刀一本あれば用は足りる」と答えたそうです。つまり、相手と差し違えるだけの覚悟をもてば道は開けると岩倉を勇気づけたのでした。





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ぴーち こんばんは!
そうですよね。
人間にとっての一番の脅威は
「命知らず」であり、捨て身の覚悟ですもんね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
西郷隆盛の覚悟が、歴史を大きく動かしたことになります。
そうですよね。
人間にとっての一番の脅威は
「命知らず」であり、捨て身の覚悟ですもんね(^_^;)
西郷隆盛の覚悟が、歴史を大きく動かしたことになります。