天皇お自らが政治を行われるのであれば、そこに徳川家が入り込む隙間(すきま)は全くありません。しかも、かつて徳川家に大政奉還を許した反省があったからなのか、討幕派は大号令の直後に官職の大改革を実行しました。
すなわち、それまで1000年以上続いた摂政や関白を廃止し、新たに総裁・議定(ぎじょう)・参与の三職を創設したのです。
総裁には有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)が就任し、議定には公家の中山忠能(なかやまただやす)や前土佐藩主の山内容堂らが、参与には岩倉具視(のち議定に異動)や、雄藩の代表として薩摩藩の西郷隆盛(さいごうたかもり)や大久保利通(おおくぼとしみち)、長州藩の木戸孝允(きどたかよし、別名を桂小五郎)、土佐藩の後藤象二郎らが任命されました。
新たに創設された三職に、徳川家の名前はありませんでした。これによって徳川家が新政権への参加の道を断たれたのみならず、討幕派が中心となった新政府は、さらなる追い討ちを同日のうちに徳川家にかけたのです。





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ぴーち こんばんは!
これは、なんというのでしょうか・・(^_^;)
天皇という畏れ多い存在を後ろ盾に
することで物事を動かそうと言う人間の
思惑がここでも・・ですか。
その後の大東亜戦争時でも
天皇を現人神として祀られた様に。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 時の為政者が天皇の権威にすがるのは、実は我が国でずっと行われてきたことですからね。
今回の王政復古の大号令はもちろん、幕府の成立の過程においても同じです。
ぴーち そうですか。
困ったときの「上(かみ)」頼みとでも言いましょうか(^_^;)
何か天皇という存在が、何時の世も便利にあしらわれている様で、なんとも引っかかりますね。。
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 確かにそういう一面はありますね。
もっとも、天皇陛下のご存在によって、我が国の統率がとれたという事実もあります。
これは、なんというのでしょうか・・(^_^;)
天皇という畏れ多い存在を後ろ盾に
することで物事を動かそうと言う人間の
思惑がここでも・・ですか。
その後の大東亜戦争時でも
天皇を現人神として祀られた様に。
今回の王政復古の大号令はもちろん、幕府の成立の過程においても同じです。
困ったときの「上(かみ)」頼みとでも言いましょうか(^_^;)
何か天皇という存在が、何時の世も便利にあしらわれている様で、なんとも引っかかりますね。。
もっとも、天皇陛下のご存在によって、我が国の統率がとれたという事実もあります。