宗春が亡くなった明和元(1764)年の頃には、幕府による規制緩和政策が徐々に成果を上げていましたから、宗春の最晩年になって、ようやく時代が彼に追いついたことになります。なお、この後のいわゆる「田沼時代」は幕府の財政が豊かになると同時に、平賀源内(ひらがげんない)や杉田玄白(すぎたげんぱく)、あるいは与謝蕪村(よさぶそん)らによって華やかな文化も栄えました。
宗春による政治は決して間違ってはいなかったのです。いや、それどころか彼が行った大胆な規制緩和と大幅な財政政策は、20世紀の経済学者であるケインズより200年近くも早いという先見の明があり、また彼がもたらした名古屋の繁栄と成熟した文化は、名古屋における結婚式の派手さや、その技術力の高さが「ものづくりの伝統」として、戦前の豊田織機(しょっき)やその後のトヨタ自動車にもつながったと考えられています。
地元の名古屋では愛され続けてきたものの、全国的には不遇な扱いを受けてきたと言わざるを得ない徳川宗春ですが、彼の真実の姿を明らかにするとともに、我が国で長く続いてきたデフレーションによる不況から本当の意味で脱出するためにも、今こそ宗春の政策に学ぶべきではないでしょうか。
参考文献:「徳川宗春・〈江戸〉を超えた先見力」(著者:北川宥智 出版:風媒社)
http://www.muneharu.net/
※下記の映像は3月4日までの掲載分をまとめたものです。
(※第52回歴史講座の内容はこれで終了です)





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ぴーち こんばんは!
世の中には先見の明をお持ちの方は
沢山いらっしゃると思いますが、
誰よりもいち早く行動を起こし、それを実行して
行こうとなると、並々ならぬ努力と
命を掛けて貫き通すという気概が
なければ達成出来ない事ですので、
思いはあっても、その膨大な苦労の前に
人はどうしても立ちすくんでしまいがちです。
しかし、人になんと言われようと、どんな壁が
立ちはだかろうと怯まず、自分の意思を
貫けた人物、それが本当の先見の明のある
人物として崇められるのでしょうね。
なかなかそこまで捨て身になれる人物は
居ないという事ですかね・・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと思いますし、それができる人物こそ指導者や政治家に相応しいのでしょうね。
世の中には先見の明をお持ちの方は
沢山いらっしゃると思いますが、
誰よりもいち早く行動を起こし、それを実行して
行こうとなると、並々ならぬ努力と
命を掛けて貫き通すという気概が
なければ達成出来ない事ですので、
思いはあっても、その膨大な苦労の前に
人はどうしても立ちすくんでしまいがちです。
しかし、人になんと言われようと、どんな壁が
立ちはだかろうと怯まず、自分の意思を
貫けた人物、それが本当の先見の明のある
人物として崇められるのでしょうね。
なかなかそこまで捨て身になれる人物は
居ないという事ですかね・・・