しかし、屋敷の敷地は約4,600坪の広さがあり、宗春はここで焼き物を作ったり、書画を描いたりするなど悠々自適(ゆうゆうじてき)な生活を送った後、明和(めいわ)元(1764)年10月8日に69歳で亡くなりました。
なお、宗春の墓石には長いあいだ金網がかぶせられていたとされてきましたが、それは単なる噂に過ぎず、実際にはなかったということです。もっとも、幕府に遠慮したためか、宗春の謹慎は彼の死後も続けられ、没後75年が経った天保(てんぽう)10(1839)年になってようやく宗春の名誉が回復し、従二位大納言(じゅにいだいなごん)が追贈されました。
宗春の官位追贈によって、彼の墓碑(ぼひ)がつくり直されましたが、それが現在も残る宗春の墓です。なお、この墓碑は第二次世界大戦の空襲によって一部が焼けて欠損しましたが、関係者の努力によって平成22(2010)年に修復されました。
参考文献:「徳川宗春・〈江戸〉を超えた先見力」(著者:北川宥智 出版:風媒社)
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※下記の映像は3月4日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
死してようやく自由を手に入れた訳ですか・・
なんともやるせないですね。
それでも没後と言えど、名誉が回復された
事は何よりでしたよね。