そんな折の元文元(1736)年10月に近衛家熙(このえいえひろ)が死去すると、桜町天皇(さくらまちてんのう)の側近で、霊元法皇との関係が深かった一条兼香(いちじょうかねよし)が関白となり、朝廷内で大きな影響力を持つようになりました。
また、これより以前に、幕府は水戸藩が編纂(へんさん)した「大日本史」の出版許可を朝廷に願い出ていましたが、朝廷側の審査役だった大納言の一条兼香は、南北朝問題(「大日本史」では正当な皇統を南朝としましたが、実際の皇統は北朝だったこと)もあって、享保16(1731)年に出版を不許可としました。
にもかかわらず、幕府は朝廷の意向を無視して享保19(1734)年に大日本史を強引に出版してしまいました。顔を潰された格好になった兼香は激怒し、さらにはその兼香が朝廷で権力を持つようになったことで、朝廷と幕府には大きな溝ができてしまいました。
参考文献:「徳川宗春・〈江戸〉を超えた先見力」(著者:北川宥智 出版:風媒社)
http://www.muneharu.net/
※下記の映像は3月4日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
確かに普段から何となく
気に入らないと思っている相手に
対しては、一触即発的な出来事が
起こったりした時には、ここぞとばかりに
その不満を爆発させる結果となりますよね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 確かに普段から何となく
> 気に入らないと思っている相手に
> 対しては、一触即発的な出来事が
> 起こったりした時には、ここぞとばかりに
> その不満を爆発させる結果となりますよね(^_^;)
残念ながら仰るとおりですよね。
そんな時に、不幸にも両者の争いに巻き込まれてしまう人もいます。
宗春公の場合はどうだったのでしょうか…。
確かに普段から何となく
気に入らないと思っている相手に
対しては、一触即発的な出来事が
起こったりした時には、ここぞとばかりに
その不満を爆発させる結果となりますよね(^_^;)
> 気に入らないと思っている相手に
> 対しては、一触即発的な出来事が
> 起こったりした時には、ここぞとばかりに
> その不満を爆発させる結果となりますよね(^_^;)
残念ながら仰るとおりですよね。
そんな時に、不幸にも両者の争いに巻き込まれてしまう人もいます。
宗春公の場合はどうだったのでしょうか…。