江戸時代の初期に盛んに行われた事業の一つに新田開発(しんでんかいはつ)がありました。世の中が平和になったことで人口が増加し、大勢の人を食べさせるために新たな開墾(かいこん)が必要になったからです。それ以外にも人々の暮らしの向上のために多くの道路や橋などが造られました。これらのいわゆる公共事業の資金には農民からの税が充(あ)てられ、当時は収穫の70%が税となる「七公三民」が当たり前でした。
しかし、新田開発が限界に達して、公共事業も一段落すると、それまでの多額の納税が不要となり、税率が少しずつ下がっていきました。一説によれば、綱吉政権の末期には「三公七民」状態であったとされています。農民や庶民の暮らしが向上したことで、それまでは生活に余裕のなかった自給自足の生活から、消費経済、さらには貨幣経済の暮らしへと変化していきました。
世の中が減税となれば、人々の暮らしに余裕が生まれます。余裕のある暮らしの中から、多くの人々は「遊び」を求めるようになり、そのニーズに応える形で様々な「文化」が生まれます。冒頭で述べた元禄文化も、このような状況から生まれ、栄えたのでした。
景気が良くなってモノが売れれば、それに見合うだけの貨幣も必要になりますが、実はこの頃、江戸幕府の所有金銀は底をついていました。オランダや中国との貿易で我が国から輸出できる目ぼしいものがなかったことで、幕府は所有の金銀を惜しげもなく支払いに使っていましたが、やがて金山や銀山からの発掘量が激減してしまい、貨幣を発行しようにも金銀が不足するという有様になっていたのです。
こうした非常事態に、綱吉は経済に詳しかった荻原重秀(おぎわらしげひで)を抜擢(ばってき)して、彼に経済対策を一任しました。重秀は綱吉の期待に応え、同じ一両でも金の含有率(がんゆうりつ)を従来の84%から57%に落とすことで貨幣の量を増やし、従来の小判と同じ一両として引き換えることで、含有の金の量の差がそのまま幕府の収入につながるという、まさに一石二鳥(いっせきにちょう)の策で乗り切りました。なお、この時に発行された小判を元禄小判(げんろくこばん)といいます。




いつも有難うございます。
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JJSG 新田開発でしたかぁ。
しかしながら、経済も発展して、文化も発展して、いろいろとやったんですねぇ。
すばらしい将軍なのに。。。
なんで、お馬鹿将軍になっちゃうのかなぁ。。。
ぴーち こんばんは!
金の含有量を減らすとは、合理的な策を考えだしましたね^^
最近の経済危機にも、確かに
素材の容量はそのまま、でも、含有率を低下させた
物が商品化されて、出回っているものが多いですね。
やはり、危機的状況の時は、それなりの対処が必要になって来ますね。
それでは、只今、お留守中だろうと思いますが、
応援させてくださいw
トップで国は変わる
オバrev ひょとして、黄金を産出する国、ジパングと呼ばれていたのはこの頃ですかね?
日本も昔は、現在の南アフリカのような国だったのかもしれませんね。
噂によると、ドル安の中、中国始め各国は金保有率を高めていますが、日本は敗戦国のため、金保有率が制限されているそうです。今やっとDDPの2%?
しかし、実は表に出ない金を、徳川幕府以来保有しているという噂もあるけど、真実は分かりません(^^;)
いずれにしてもトップの考えで国の状態は大きく変わると言うことは確かですね。
こんばんは
安眠癒しグマ いつも勉強させていただいております。
私の地域では今インフルエンザが流行っています。
私も今日の夕方からゾクゾクします><
黒田さんも気をつけてくださいね。
ポチ♪
miwa 綱吉さん今まで誤解していて本当にごめんなさい。
と言いたいですね。
過去の話とは言え、この日本で政治経済を担う座にいる方が
政治的手腕を振るう話を聞くのはとても癒されます。
Good Job!
オバrev 2ndコメになりますが、綱吉はやり手ですね。
金の含有量を落とすとは、金本位制を半分破棄するようなものですが、アイデアとしては素晴らしいです。お見事です。
しかし江戸時代ってのは、大きな戦争のない時代で、現代と共通するところは大いにあるんじゃないでしょうか。
marihime 黒田さんこんばんは☆
一言だけ書かせてもらいますね。
柳沢吉保はただの側用人ではなかったと思っています。
綱吉の評判を落としたのも柳沢吉保が大きく関わっていると思います。
側用人から大老になり、大名にまでのしあがったのは吉宗の腰巾着大岡忠相の息子大岡忠高の2人だけです。
私は綱吉の政策をゆがめたのは大老の地位を利用した柳沢吉保じゃないかと思うのですが?
JJSGさんへ
黒田裕樹 治安が良くなって、生きていく余裕ができれば、自然と生活のレベルの向上を目指すものですからね。その手助けをするのが政治の役目であれば、綱吉の政策は理にかなったものといえるでしょう。
> なんで、お馬鹿将軍になっちゃうのかなぁ。。。
いずれは明らかにしますが、もう少しお待ち下さいm(_ _)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 質を下げた商品というのは一般的に敬遠される傾向がありますが、値段のことを考えれば受け入れるのもひとつの選択肢ですよね。
ましてや貨幣は本来は質や量とは無縁のものですから(これについては次回の更新で明らかにします)、経済の危機に対して現実的かつ柔軟な対応ができると思います。
先ほど帰ってまいりました(笑)。お気遣い、有難うございます。
オバrevさんへ
黒田裕樹 何度もコメント下さって有難うございます。まとめてコメ返させていただきますね(^^♪
「黄金の国ジパング」と呼ばれていたのはマルコ=ポーロの時代ですから、13世紀の頃からですね。ただ、戦国時代後期から江戸時代前期にかけては、海外からもたらされた鉱山技術の進歩もあって、我が国が有数の金銀産出国であったのは事実です。しかし、資源はやはり限りあるものですから、綱吉の時代には残念ながら枯渇してしまったのです。
「金本位制の半分破棄」とのお言葉、さすがはオバrevさんですね(^_^)v
これに関しては綱吉のアイディアというよりも、彼によって見出された荻原重秀の功績でしょう。彼の真意については、次回以降の更新で明らかにします。
確かに江戸時代は幕末まで大きな混乱はなかったですから、現代と共通する要素がありますね。ただ、今の状況は綱吉の時代というよりも、どちらかといえば「黒船来航前夜」の雰囲気が漂っているような気がします(´・ω・`)
安眠癒しグマさんへ
黒田裕樹 コメント&ポチ有難うございますm(_ _)m
インフルエンザの蔓延はもはや全国区ですからね。私もいつかかるか分かりませんし、気をつけなければいけません。安眠癒しグマさんの症状が早く治まることをお祈りします。
miwaさんへ
黒田裕樹 「本当にごめんなさい」。私を含めて、綱吉公のことを誤解していた日本人共通の言葉ですね。
綱吉の政治的手腕には、確かに目を見張るものがあります。現代にも綱吉公のような為政者がいればいいのですが…。
marihimeさんへ
黒田裕樹 いつも有難うございます。
今回のお言葉ですが、柳沢吉保については正しくは「大老」ではなく「大老格」であり、格式は老中より上であるとされたものの、役職はあくまで側用人であり、実際の政治談議には参加できませんでした。例えば、浅野内匠頭による刃傷沙汰に関しても、老中の意見を綱吉に取り次いだだけです。
ちなみに、吉保は引退後も大名としての地位を保障されたまま天寿を全うし、彼の子孫も大和郡山に国替えこそあったものの、明治維新までその命脈を保っています。
綱吉の評価は、むしろ彼の死後に意図的に下げられたと私は見ています。その主犯格は…いずれ今回の講座で明らかにします。
尚、大岡忠高は大岡忠相の父であり、9代将軍家重の御側御用取次から若年寄、さらには側用人まで出世した大岡忠光は忠相の親戚です。ちなみに、忠光は非常に控えめな性格であったという事実が、当時のオランダ商館長の著書に残されています。
しかしながら、経済も発展して、文化も発展して、いろいろとやったんですねぇ。
すばらしい将軍なのに。。。
なんで、お馬鹿将軍になっちゃうのかなぁ。。。
金の含有量を減らすとは、合理的な策を考えだしましたね^^
最近の経済危機にも、確かに
素材の容量はそのまま、でも、含有率を低下させた
物が商品化されて、出回っているものが多いですね。
やはり、危機的状況の時は、それなりの対処が必要になって来ますね。
それでは、只今、お留守中だろうと思いますが、
応援させてくださいw
日本も昔は、現在の南アフリカのような国だったのかもしれませんね。
噂によると、ドル安の中、中国始め各国は金保有率を高めていますが、日本は敗戦国のため、金保有率が制限されているそうです。今やっとDDPの2%?
しかし、実は表に出ない金を、徳川幕府以来保有しているという噂もあるけど、真実は分かりません(^^;)
いずれにしてもトップの考えで国の状態は大きく変わると言うことは確かですね。
私の地域では今インフルエンザが流行っています。
私も今日の夕方からゾクゾクします><
黒田さんも気をつけてくださいね。
ポチ♪
と言いたいですね。
過去の話とは言え、この日本で政治経済を担う座にいる方が
政治的手腕を振るう話を聞くのはとても癒されます。
金の含有量を落とすとは、金本位制を半分破棄するようなものですが、アイデアとしては素晴らしいです。お見事です。
しかし江戸時代ってのは、大きな戦争のない時代で、現代と共通するところは大いにあるんじゃないでしょうか。
一言だけ書かせてもらいますね。
柳沢吉保はただの側用人ではなかったと思っています。
綱吉の評判を落としたのも柳沢吉保が大きく関わっていると思います。
側用人から大老になり、大名にまでのしあがったのは吉宗の腰巾着大岡忠相の息子大岡忠高の2人だけです。
私は綱吉の政策をゆがめたのは大老の地位を利用した柳沢吉保じゃないかと思うのですが?
> なんで、お馬鹿将軍になっちゃうのかなぁ。。。
いずれは明らかにしますが、もう少しお待ち下さいm(_ _)m
ましてや貨幣は本来は質や量とは無縁のものですから(これについては次回の更新で明らかにします)、経済の危機に対して現実的かつ柔軟な対応ができると思います。
先ほど帰ってまいりました(笑)。お気遣い、有難うございます。
「黄金の国ジパング」と呼ばれていたのはマルコ=ポーロの時代ですから、13世紀の頃からですね。ただ、戦国時代後期から江戸時代前期にかけては、海外からもたらされた鉱山技術の進歩もあって、我が国が有数の金銀産出国であったのは事実です。しかし、資源はやはり限りあるものですから、綱吉の時代には残念ながら枯渇してしまったのです。
「金本位制の半分破棄」とのお言葉、さすがはオバrevさんですね(^_^)v
これに関しては綱吉のアイディアというよりも、彼によって見出された荻原重秀の功績でしょう。彼の真意については、次回以降の更新で明らかにします。
確かに江戸時代は幕末まで大きな混乱はなかったですから、現代と共通する要素がありますね。ただ、今の状況は綱吉の時代というよりも、どちらかといえば「黒船来航前夜」の雰囲気が漂っているような気がします(´・ω・`)
インフルエンザの蔓延はもはや全国区ですからね。私もいつかかるか分かりませんし、気をつけなければいけません。安眠癒しグマさんの症状が早く治まることをお祈りします。
綱吉の政治的手腕には、確かに目を見張るものがあります。現代にも綱吉公のような為政者がいればいいのですが…。
今回のお言葉ですが、柳沢吉保については正しくは「大老」ではなく「大老格」であり、格式は老中より上であるとされたものの、役職はあくまで側用人であり、実際の政治談議には参加できませんでした。例えば、浅野内匠頭による刃傷沙汰に関しても、老中の意見を綱吉に取り次いだだけです。
ちなみに、吉保は引退後も大名としての地位を保障されたまま天寿を全うし、彼の子孫も大和郡山に国替えこそあったものの、明治維新までその命脈を保っています。
綱吉の評価は、むしろ彼の死後に意図的に下げられたと私は見ています。その主犯格は…いずれ今回の講座で明らかにします。
尚、大岡忠高は大岡忠相の父であり、9代将軍家重の御側御用取次から若年寄、さらには側用人まで出世した大岡忠光は忠相の親戚です。ちなみに、忠光は非常に控えめな性格であったという事実が、当時のオランダ商館長の著書に残されています。