さて、先の総攻撃で、板倉など4,000人以上の死傷者を出した幕府側は、一揆勢に対して兵糧攻めの作戦に出ました。長引く戦いで兵糧や弾薬が尽きた一揆勢は、次第に苦しくなりました。
持久戦を選んだとはいえ、あまりにも戦いが長引くと幕府の威信にかかわると判断した信綱は、2月28日に総攻撃をかけて、一揆勢を鎮圧することに決めました。
しかし、信綱の動きを察した佐賀藩(さがはん)の鍋島勝茂(なべしまかつしげ)が抜け駆けをしたために、一日総攻撃が早まっただけでなく、指揮系統が乱れたことで幕府軍は混乱し、死者1,000人以上、負傷者を合わせれば1万人を超える被害を出してしまいました。





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ぴーち こんばんは!
戦いの理由と言うのは実に複雑な人間の
思いが交錯するものですね。
しかもそれは正義の為などではなく、
己の威信の為、顕示欲など
自分自身の力を誇示したいが為の戦いとなると
これほどまでに泥沼化してしまうものなのですね。
恐ろしいです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、恐ろしいですね。
島原の乱には人間の「嫌な部分」がすべてあらわれているような感があります。
戦いの理由と言うのは実に複雑な人間の
思いが交錯するものですね。
しかもそれは正義の為などではなく、
己の威信の為、顕示欲など
自分自身の力を誇示したいが為の戦いとなると
これほどまでに泥沼化してしまうものなのですね。
恐ろしいです。
島原の乱には人間の「嫌な部分」がすべてあらわれているような感があります。