そんな折の1543年、ポルトガル人を乗せた明の船が、九州南方の種子島(たねがしま)に漂着(ひょうちゃく)しました。これが我が国に初めて上陸したヨーロッパ人です。領主の種子島時尭(たねがしまときたか)は、ポルトガル人が所有していた鉄砲に興味を示してこれを購入すると、家臣にその使用法と製造法を学ばせました。
手先が器用だった鍛冶(かじ)職人によって、鉄砲がまたたく間に複製されると、やがて貿易港でもあった堺などにおいて大量に生産され、各地の戦国大名に売り込まれました。
鉄砲の出現は、それまでの弓や槍(やり)、あるいは騎馬隊を主力とした戦闘方法が、鉄砲による歩兵戦が中心になるなどの大きな変化をもたらしました。また、鉄砲は雨が降ると使用できないという弱点を持つ一方、雨の心配のない城の中では、内部へと迫ってくる敵を狙い撃ちできることから籠城戦に最適とされ、城の構築方法も、それまでの山城(やまじろ)から平山城(ひらやまじろ)、あるいは平城(ひらじろ)へと変化していきました。
なお、ポルトガル人は、鉄砲そのものを我が国に購入させる目的で種子島にわざと漂着したのではないかとも考えられています。その野望は、我が国で鉄砲が大量生産されたことで潰(つい)えましたが、火薬の原料となる硝石(しょうせき)が我が国で生産されなかったことから、これを我が国に輸入することで貿易が成立することになりました。





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ぴーち こんばんは!
なるほど、
では、ポルトガル人は日本に売り込めば
必ず成果が得られると最初から踏んでいたという
訳ですか・・
伝来以前に日本人の特質を何処かで
把握していたのでしょうか。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 恐らくは「自分たちはこんなすごい鉄砲がつくれるんだぞ。お前たちには無理だろう」といわんばかりに、鉄砲を高値で売りつけようとしたのではないかと思われますね。
ところが、日本人が簡単につくれてしまったことで、その点では当てが外れたと言えそうです。
ぴーち なるほど、逆にそうでしたか^^
そう言えば、北朝鮮が
他人の遺骨を送りつけて来て
死亡したなどと言い訳して来ましたが、
日本の高度な技術力を持ってすれば
容易く判断出来る事を知らなかった事例に
似ている気が・・・
何事も、相手を見くびると自分がバカを見るという
教訓でしょうか(^_^;)
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 > 何事も、相手を見くびると自分がバカを見るという
> 教訓でしょうか(^_^;)
仰るとおりですね。
我が国とて他人事ではありません。
総合的な対策が常に求められています。
なるほど、
では、ポルトガル人は日本に売り込めば
必ず成果が得られると最初から踏んでいたという
訳ですか・・
伝来以前に日本人の特質を何処かで
把握していたのでしょうか。
ところが、日本人が簡単につくれてしまったことで、その点では当てが外れたと言えそうです。
そう言えば、北朝鮮が
他人の遺骨を送りつけて来て
死亡したなどと言い訳して来ましたが、
日本の高度な技術力を持ってすれば
容易く判断出来る事を知らなかった事例に
似ている気が・・・
何事も、相手を見くびると自分がバカを見るという
教訓でしょうか(^_^;)
> 教訓でしょうか(^_^;)
仰るとおりですね。
我が国とて他人事ではありません。
総合的な対策が常に求められています。