1776年に建国されたばかりのアメリカは、我が国への侵略の意図よりも、北太平洋を航海する捕鯨船の寄港地や対中国貿易の中継地とするために、我が国と友好的な関係を持ちたいと考えていました。
そんな思惑もあって、アメリカは我が国に対して当初は紳士的な対応を行いました。天保8(1837)年には我が国の漂流民を乗せた民間商船のモリソン号が来航しましたが、幕府は異国船打払令を理由に砲撃して追い返しました。これをモリソン号事件といいます。
門前払いで攻撃を受けたかたちとなったアメリカでしたが、弘化3(1846)年にはアメリカ東インド艦隊司令長官のビッドルが浦賀に来航し、我が国に対して平和的に通商を求めました。
もしここで幕府が通商を受け入れていれば、我が国の歴史は大きく好転していた可能性もあったでしょう。しかし、幕府は鎖国を理由にまたしてもアメリカの要求を拒絶してしまったのです。
※下記の映像は12月29日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
なるほど、今でもアメリカの考え方はこの当時の
思惑とほぼ変わらない気もするのですが、やはり
あくまで日本は中国との関係とを見据えた中継点としか見なされて居なかったのですね。
どんなに拒絶されても、絶対手に入れたい
拠点なのでしょうね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > あくまで日本は中国との関係とを見据えた中継点としか見なされて居なかったのですね。
> どんなに拒絶されても、絶対手に入れたい
> 拠点なのでしょうね。
地政学的にやむを得ない事実ですね。
世の中にはどうしようもないこともあります。
なるほど、今でもアメリカの考え方はこの当時の
思惑とほぼ変わらない気もするのですが、やはり
あくまで日本は中国との関係とを見据えた中継点としか見なされて居なかったのですね。
どんなに拒絶されても、絶対手に入れたい
拠点なのでしょうね。
> どんなに拒絶されても、絶対手に入れたい
> 拠点なのでしょうね。
地政学的にやむを得ない事実ですね。
世の中にはどうしようもないこともあります。