「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽(く)ちぬとも 留(とど)め置かまし 大和魂」
「たとえ自分の身体は死んで朽ち果てようとも、国を思う私の心はずっと留まって生き続ける」。松陰が死の直前に書きあげた「留魂録(りゅうこんろく)」は、遺された塾生たちに送り届けられ、幕末から明治維新にかけての歴史の大きな流れを構築するようになったのです。
自らの生きる道を信じ、それゆえに自身の生命を縮める結果となった吉田松陰。その潔い生涯は、いまもなお私たちに大きな影響を与え続けていますが、その一方で、松陰を「殺した」井伊直弼はどのような生涯を送ったのでしょうか。
※下記の映像は12月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
そうですね・
人間って、きっと自分の気持ちに正直に
生き抜こうとすると、命がいくつあっても
足りなくなるのかも知れません(^_^;)
皆多かれ少なかれ
自分の意向を曲げたり、時には相手に
合わせて折れたりする事で生命の
存続を図って生きているのでしょうね。
なかなか自分の意見を曲げずに貫き通す
勇気や気概というのは真似ることが出来ないのが
普通なので
松蔭の様な生き様に感動する人も
少なくないのかもしれません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私も同じ思いです。
松陰の生き様に多くの人が共感したからこそ、その後の道が開けたのだと考えられます。
その意味では、彼の死は決して無駄ではなかったのかもしれませんが…。
そうですね・
人間って、きっと自分の気持ちに正直に
生き抜こうとすると、命がいくつあっても
足りなくなるのかも知れません(^_^;)
皆多かれ少なかれ
自分の意向を曲げたり、時には相手に
合わせて折れたりする事で生命の
存続を図って生きているのでしょうね。
なかなか自分の意見を曲げずに貫き通す
勇気や気概というのは真似ることが出来ないのが
普通なので
松蔭の様な生き様に感動する人も
少なくないのかもしれません。
松陰の生き様に多くの人が共感したからこそ、その後の道が開けたのだと考えられます。
その意味では、彼の死は決して無駄ではなかったのかもしれませんが…。