将来を嘱望(しょくぼう)された松陰は、西洋兵学の勉強のために嘉永(かえい)3(1850)年に九州へ遊学し、兵学者の宮部鼎蔵(みやべていぞう)に出会って友情を深めると、翌嘉永4(1851)年には江戸へ向かい、佐久間象山(さくましょうざん)に師事して熱心に勉強を重ねました。
その後、松陰は宮部らと東北旅行を計画しましたが、出発日の約束を守るために、長州藩からの通行手形の発行を待たずに脱藩しました。自分の将来よりも、他藩の友人との約束を優先したのです。
こうした松陰の崇高(すうこう)な精神が、いずれ彼の生命を縮めることになってしまうのでした。なお、松陰は旅行を終えて江戸に帰着後、罪に問われて士籍剥奪(しせきはくだつ)・世禄(せいろく、世襲の家禄のこと)没収の処分を受けています。
※下記の映像は12月15日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
崇高な精神ですか・・
私事で恐縮ですが
父が以前
丁字路で前方一時停止線が有り
そこで一旦停止しようと減速した時に
たまたま右方向からこちらへ曲がろうとしている車が有ったそうです。
父が進んで来た道は、車二台すれ違うには
少しばかり狭いくらいの道路だったので、
まずは父の車が少し先に出ないとそちらの車が
曲がって来れないと判断した父は
停止線よりもわずか先に停止したそうです。
しかし、その左側に一時停止違反を取り締まるパトカーが見ていて、停止線をわずかに出て停止した
父は違反で減点されてしまいまして・・
他人の為に良かれと思ってとった行動が
自分には不利になってしまうという話を
思い出しました(^_^;)
余りに崇高過ぎるのも考えものなのかも
知れませんね(^_^;)
長々と失礼しましたm(__)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 それは大変な目にあわれましたね。
確かに崇高過ぎるのも考えものですが、だからこそ人は惹かれるのかもしれません。
崇高な精神ですか・・
私事で恐縮ですが
父が以前
丁字路で前方一時停止線が有り
そこで一旦停止しようと減速した時に
たまたま右方向からこちらへ曲がろうとしている車が有ったそうです。
父が進んで来た道は、車二台すれ違うには
少しばかり狭いくらいの道路だったので、
まずは父の車が少し先に出ないとそちらの車が
曲がって来れないと判断した父は
停止線よりもわずか先に停止したそうです。
しかし、その左側に一時停止違反を取り締まるパトカーが見ていて、停止線をわずかに出て停止した
父は違反で減点されてしまいまして・・
他人の為に良かれと思ってとった行動が
自分には不利になってしまうという話を
思い出しました(^_^;)
余りに崇高過ぎるのも考えものなのかも
知れませんね(^_^;)
長々と失礼しましたm(__)m
確かに崇高過ぎるのも考えものですが、だからこそ人は惹かれるのかもしれません。