そして、翌昭和57(1982)年6月に「日本の教科書検定によって、中国華北への『侵略』が『進出』に書き換えられた」と我が国の大新聞が一斉に報道し、中華人民共和国や韓国が日本政府に抗議する騒ぎとなりましたが、これは全くのデマであり、明らかな誤報でした。
にもかかわらず、当時の宮澤喜一(みやざわきいち)内閣官房長官が「近隣の諸国民の感情に配慮した教科書にする」という主旨の発言をしたこともあって、以後の教科書検定において「近隣諸国条項」という名の自主規制が設けられてしまったのです。
教科書誤報事件によって、我が国の教科書検定という、完全に日本国内の問題でありながら、中華人民共和国や韓国に「検閲権」を認めてしまったことで、健全な青少年の育成に欠かせない歴史教科書が、外国の干渉を平気で受けいれるようになったのみならず、中韓両国による執拗(しつよう)な内政干渉や、我が国の謝罪外交が常態化するという悪しき慣習を生み出してしまい、それらは今もなお我が国に深刻な影響を及ぼし続けています。
なお、事実と全く異なる報道を行った大新聞のうち、その後に正式に謝罪をしたのは産経新聞ただ一社のみです。
※下記の映像は11月30日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
宮澤さんと聞くとまずは英語がご堪能で・・という印象が浮かび、それほどまでに英語が堪能であれば、考え方も欧米型なのかもしれないと勝手に解釈してしまうのですが、中身は至って保守的で自虐的な日本人特有のお考えの方だったのでしょうかね?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 中身は至って保守的で自虐的な日本人特有のお考えの方だったのでしょうかね?
残念ながら、そう言わざるを得ないですね。
彼が首相の際に自民党が下野したのも偶然ではないのかもしれません。
宮澤さんと聞くとまずは英語がご堪能で・・という印象が浮かび、それほどまでに英語が堪能であれば、考え方も欧米型なのかもしれないと勝手に解釈してしまうのですが、中身は至って保守的で自虐的な日本人特有のお考えの方だったのでしょうかね?
残念ながら、そう言わざるを得ないですね。
彼が首相の際に自民党が下野したのも偶然ではないのかもしれません。