また、当時の国会で審議されていた警察官職務執行法の強化や、教員の勤務評定などをめぐって、岸信介内閣は革新勢力と対立していましたが、これらと同時期に新安保条約の調印が行われたため、条約を批准する国会審議において、与野党の意見が激突しました。
このため、岸内閣はやむを得ず昭和35(1960)年5月19日に、衆議院で条約批准案を野党欠席のまま強行採決に踏み切りましたが、これを契機として院外の安保改正阻止闘争(=安保闘争)は激しさを増し、安保改定阻止国民会議や全学連による10万人を超えるデモ隊が、連日のように国会を取り囲むようになりました。
そして、6月15日には全学連主流派の約1万人が国会に乱入し、警官隊と衝突して死者を出す惨事となってしまったのです。
新安保条約は参議院の承認を得られぬまま、6月19日に自然成立となりましたが、この騒ぎによって、予定されていたアメリカのアイゼンハワー大統領の訪日が中止されたほか、混乱の責任を取って岸内閣が総辞職しました。
※下記の映像は11月30日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
確かに昔の政治的な論争は死者も出るほどに
白熱していましたよね。
勿論、それだけ皆真剣に政治に関心を持ち
日本の行く末を案じていた証拠なのでしょうけれど。
現在の論争はそこまで大沙汰にはならずに
案外、すんなり事が決まってしまうのが
逆に「そんなもので良いのか!」と歯がゆい思いがします。政治に対する関心度が低い事実が
そのまま反映されているかの様です。
かと言って、死者を一人も出さない事は
不幸中の幸いでも有りますが。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 政治的無関心は問題ではありますが、だからといって死者が出るほどの騒ぎは確かに願い下げですよね。
冷静かつ賢明な対応が一番望ましいのですが…。
確かに昔の政治的な論争は死者も出るほどに
白熱していましたよね。
勿論、それだけ皆真剣に政治に関心を持ち
日本の行く末を案じていた証拠なのでしょうけれど。
現在の論争はそこまで大沙汰にはならずに
案外、すんなり事が決まってしまうのが
逆に「そんなもので良いのか!」と歯がゆい思いがします。政治に対する関心度が低い事実が
そのまま反映されているかの様です。
かと言って、死者を一人も出さない事は
不幸中の幸いでも有りますが。
冷静かつ賢明な対応が一番望ましいのですが…。