1884(明治17)年3月2日、東京都本郷区向ヶ岡弥生(やよい)町(現在の文京区弥生二丁目)の向ヶ岡貝塚(むこうがおかかいづか)で今までにない様式の壷(つぼ)が発見されました。この土器は発見された地名から「弥生土器」と命名され、やがて弥生文化、弥生時代とその名が広まっていくことになったのです。
…今の文章をさらっと読んだ人、何か気がつきませんでしたか?
弥生土器が発見されたのは、1884(明治17)年の3月2日…
そう! 弥生に発見されているんですよ!
なんという偶然!
ところで、縄文土器と弥生土器の違いを下記にまとめておきましたので、よろしければ参考にして下さい。
縄文土器 → 厚手・黒褐色・低温・もろい
弥生土器 → 薄手・赤褐色・高温・硬い
それから、弥生時代の代表的な遺跡としては、これまでに挙げた静岡県の登呂遺跡(とろいせき)や島根県の荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)のほかに、福岡県の板付遺跡(いたづけいせき)や、佐賀県の吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)があり、板付遺跡や吉野ヶ里遺跡では大規模な環濠集落(かんごうしゅうらく)が有名です。
また、最初に土器が発見された向ヶ岡貝塚を含む地域は、現在では「弥生二丁目遺跡」という名で史跡(しせき)に指定されています。




いつも有難うございます。
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歴史は必然?
オバrev 黒田様 コメントありがとうございました。
学生時代、日本史は得意ではなかったけど、好きでした(^^;)
決して偶然ではなく、時代背景や複雑な人間関係や支配者の強欲などによって必然的に動いていたんじゃないかと思ってます。
しかし弥生の名前の起源は知りませんでした。
弥生時代の遺跡って、西日本が多いですよね。米作りが西日本でしかできなかったからですかね?
おぉ、板付遺跡も弥生時代の遺跡なんですね。
息子が福岡にいるので今度行ったときに訪れてみます。
オバrev様
黒田裕樹 こちらこそコメント有難うございます。
おっしゃるとおり、一見偶然に見える出来事も、一本の線でつながっていることが多いのが歴史です。
その謎を解き明かすのも、実に楽しい作業でもあります。
弥生時代の遺跡が西日本に多いのは、以前の講座にも書かせていただきましたが、稲作に向いているか否かというのが大きな理由になります。
遺跡の旅もなかなか楽しいものですよね。是非お勧め致します。
また是非お越し下さい。こちらも伺わせていただきます。
学生時代、日本史は得意ではなかったけど、好きでした(^^;)
決して偶然ではなく、時代背景や複雑な人間関係や支配者の強欲などによって必然的に動いていたんじゃないかと思ってます。
しかし弥生の名前の起源は知りませんでした。
弥生時代の遺跡って、西日本が多いですよね。米作りが西日本でしかできなかったからですかね?
おぉ、板付遺跡も弥生時代の遺跡なんですね。
息子が福岡にいるので今度行ったときに訪れてみます。
おっしゃるとおり、一見偶然に見える出来事も、一本の線でつながっていることが多いのが歴史です。
その謎を解き明かすのも、実に楽しい作業でもあります。
弥生時代の遺跡が西日本に多いのは、以前の講座にも書かせていただきましたが、稲作に向いているか否かというのが大きな理由になります。
遺跡の旅もなかなか楽しいものですよね。是非お勧め致します。
また是非お越し下さい。こちらも伺わせていただきます。