昭和25(1950)年1月には、当時の南原繁(なんばらしげる)東大総長などが「単独講和は特定国家への依存や隷属(れいぞく)をもたらすものである」と全面講和を主張し、また一部の新聞社や雑誌社、あるいは社会党や共産党、さらには総評や日本教職員組合(=日教組)も活発な反対運動を展開しました。
しかし、彼らが主張する「全面講和」に対して、いわゆる「単独講和」はソ連やその衛星国数ヵ国を除いたものに過ぎず、さらには米ソによる「冷戦」が続く状況下では、全面講和論は現実性を持たないものでした。
南原総長の主張に対し、当時の吉田茂首相は「全面講和は到底行われないことであり、政治家の領域に立ち入ってかれこれ言うことは、曲学阿世(きょくがくあせい、真理にそむいて時代の好みにおもねり世間の人に気に入られるような説を唱えること)の徒に他ならない」と批判しています。
※下記の映像は11月23日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
理想と現実のギャップがかけ離れ過ぎていると、
問題はより難航を極めるものですね。
確かに一国でも多い国が関わってくれることの方が良い気もします。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 理想と現実のギャップがかけ離れ過ぎていると、
> 問題はより難航を極めるものですね。
> 確かに一国でも多い国が関わってくれることの方が良い気もします。
理想としては全面講和でしょうが、現実的に不可能となれば、それをしきりに訴えることは「条約を結ぶな」と言っているに等しいですからね。理想論だけで政治はできません。
理想と現実のギャップがかけ離れ過ぎていると、
問題はより難航を極めるものですね。
確かに一国でも多い国が関わってくれることの方が良い気もします。
> 問題はより難航を極めるものですね。
> 確かに一国でも多い国が関わってくれることの方が良い気もします。
理想としては全面講和でしょうが、現実的に不可能となれば、それをしきりに訴えることは「条約を結ぶな」と言っているに等しいですからね。理想論だけで政治はできません。