鈴木内閣は、表向きは本土決戦などの強硬策を唱えながら、その裏では密かに戦争終結を図ろうと努力していました。しかし、交渉がなかなか進まない間に、アメリカのトルーマン大統領とイギリスのチャーチル首相、そしてソ連のスターリンが、7月にドイツのベルリン郊外のポツダムで、第二次世界大戦の戦後処理を決定するための会談を行いました。これをポツダム会談といいます。
会談を受けて、7月26日にはアメリカ・イギリス・中華民国の3ヵ国によるポツダム宣言が発表されました。当時はソ連が対日戦に加わっていなかったため、中国を加えることでカムフラージュしようと考えたのです。
なお、鈴木内閣はソ連が参戦の決定をしていたことを見抜けず、ソ連に対して和平の斡旋(あっせん)を要請していました。このあたりにも、当時の我が国の情報戦における決定的な敗北、インテリジェンスの欠如が見受けられます。
※下記の映像は10月7日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
なるほど。
耳も目も塞がれたまま、勝利せよというのは
それこそ並大抵の技では有りませんものね(^_^;)
いかに迅速に多くの正確な情報を得る事が
出来るかが勝敗を分けますね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 何事にもそうですが、外交戦こそ情報の入手の有無が大きく左右しますからね。
この段階で、我が国の敗戦は濃厚だったのかもしれません。
もりりん シベリア出兵のときに孤児を救われたことなどから親日感情の強かったポーランドはこの時ドイツとソ連に分割占領されていたそうですが、
その独立活動家たちを日本大使館が支援していたそうですね。
彼らは連合国の極秘情報だったソ連の対日参戦の情報を日本大使館に伝えていて、
大使館も当然その情報を外務省に伝えていたそうですけど
外務省のほうで黙殺されてしまったのでしょうかね?
もりりんさんへ
黒田裕樹 仰る件につきましては、以下のURLに詳細が載っていますが、外務省の態度については今もなお詳しいことは分からないようですね。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h15/jog323.html
なるほど。
耳も目も塞がれたまま、勝利せよというのは
それこそ並大抵の技では有りませんものね(^_^;)
いかに迅速に多くの正確な情報を得る事が
出来るかが勝敗を分けますね。
この段階で、我が国の敗戦は濃厚だったのかもしれません。
その独立活動家たちを日本大使館が支援していたそうですね。
彼らは連合国の極秘情報だったソ連の対日参戦の情報を日本大使館に伝えていて、
大使館も当然その情報を外務省に伝えていたそうですけど
外務省のほうで黙殺されてしまったのでしょうかね?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h15/jog323.html