わずか1回の空襲で約26万戸の家が焼かれ、12万以上の人々が死傷し、100万人を超える人々が焼け出されるという甚大な被害をもたらすなど、世界史上でも例を見ない非戦闘員に対する大虐殺となりました。
空襲後、昭和天皇はご自身で被災地を訪問したいと希望なされ、約1週間後の18日に実現しました。空襲から間もない東京は焼け野原と化しており、焼け死んだ人々の遺体もそのままになっていました。陛下は被災者をお励ましになりながら、東京の変わり果てた姿に胸が痛む思いでいらっしゃいました。
「もはや一刻の猶予(ゆうよ)もなく、一日も早く戦争を終わらせないといけない」。そうお考えになった昭和天皇は、翌4月の小磯国昭内閣の総辞職後に、次の内閣総理大臣として、元侍従長の鈴木貫太郎(すずきかんたろう)を指名されました。ご自身との縁(えにし)が深い鈴木ならば、この戦争を終わらせることができると期待されたのです。
なお、東京大空襲の日を3月10日としたのは、この日が陸軍記念日であったからだという説があります。また、こうしたB29による焼夷弾を使用した集中爆撃は、東京だけでなく大阪など全国の60余りの都市がその被害を受けました。これを本土爆撃といいます。
※下記の映像は9月22日までの掲載分をまとめたものです。





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通りすがり これは、アメリカ軍による民間人の大量虐殺である。
敗戦国日本の大量虐殺だけが問題視され、
戦勝国アメリカの大量虐殺が問題視されないのは、
おかしなことである。
「勝てば官軍」勝てば、何をやってもいいのだろうか?
本来ならば、カーチス・ルメイはA級戦犯として裁かれなければならない。
ぴーち こんばんは!
自分初め
人間は、自分の身の上に直接降りかかって来る火の粉には敏感に反応し、抵抗しますが
他人事となると、なかなか想像出来ないものです。
きっと日本人は遠くの国で日本兵が戦っている間は、戦争という事に対してさほどの恐怖を覚えずに
過ごしていられたのでしょうけれど、本土が徹底的に
攻められ、命の危険に晒されて初めて、戦争の残忍さを実感させられたのでしょうね。
そしてもう二度と戦争を繰り返してはならない。
そう固く決心したことでしょう。
それにしても、アメリカのやり口の徹底した態度には、閉口します。
通りすがりさんへ
黒田裕樹 仰る内容は、多くの人が同じように疑問に感じていることだと私も思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに我が身に降りかかると態度が一変する傾向にありますね。
いずれにせよ、仰るとおり閉口するやり方ではあります。
敗戦国日本の大量虐殺だけが問題視され、
戦勝国アメリカの大量虐殺が問題視されないのは、
おかしなことである。
「勝てば官軍」勝てば、何をやってもいいのだろうか?
本来ならば、カーチス・ルメイはA級戦犯として裁かれなければならない。
自分初め
人間は、自分の身の上に直接降りかかって来る火の粉には敏感に反応し、抵抗しますが
他人事となると、なかなか想像出来ないものです。
きっと日本人は遠くの国で日本兵が戦っている間は、戦争という事に対してさほどの恐怖を覚えずに
過ごしていられたのでしょうけれど、本土が徹底的に
攻められ、命の危険に晒されて初めて、戦争の残忍さを実感させられたのでしょうね。
そしてもう二度と戦争を繰り返してはならない。
そう固く決心したことでしょう。
それにしても、アメリカのやり口の徹底した態度には、閉口します。
いずれにせよ、仰るとおり閉口するやり方ではあります。