まず真珠湾攻撃の以前、アメリカがハル・ノートを我が国に通告した直後に、真珠湾を母港とする2隻(せき)の航空母艦(=空母)すべてが、本国の命令によって新鋭艦を伴って出港しました。この結果、真珠湾に残った軍艦は、そのほとんどが第一次世界大戦以来の旧型艦しかなく、しかも空母が存在しないという状態となってしまっていたのです。
またアメリカは、暗号の解読によって、我が国の開戦決定と真珠湾攻撃の予定日を事前に知りながら、極めて重要なはずのその情報をハワイに知らせるのを遅らせたため、現地の太平洋艦隊司令官が実際に情報を受け取ったのは、真珠湾攻撃が終わってから何と6時間以上も経ってからでした。
真珠湾が攻撃された昭和16(1941)年12月7日(現地時間)は日曜日だったため、何も知らされていない現地の司令官は、当日にゴルフを楽しむ予定だったと伝えられています。この事実は何を意味しているのでしょうか。
※下記の映像は8月13日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
考えられることは、
まず
日本の奇襲攻撃であった・・という
宣言を事実であると確証させる為の
無防備作戦であったのではないかと思うのですが。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 日本の奇襲攻撃であった・・という
> 宣言を事実であると確証させる為の
> 無防備作戦であったのではないかと思うのですが。
そのとおりですね。
あえて無防備にすることで、奇襲攻撃に見せかけようと考えたと思われます。
象嵌師 こんにちは、 ある程度の物的被害と人的被害が無いとアメリカ国民に対して開戦の大義名分にならないのて人柱にしたのではないでしょうか。
象嵌師さんへ
黒田裕樹 > ある程度の物的被害と人的被害が無いとアメリカ国民に対して開戦の大義名分にならないのて人柱にしたのではないでしょうか。
ご慧眼ですね。国益のためには非情な手段も辞さない。日本人にはなかなかできないことです。
考えられることは、
まず
日本の奇襲攻撃であった・・という
宣言を事実であると確証させる為の
無防備作戦であったのではないかと思うのですが。
> 宣言を事実であると確証させる為の
> 無防備作戦であったのではないかと思うのですが。
そのとおりですね。
あえて無防備にすることで、奇襲攻撃に見せかけようと考えたと思われます。
ご慧眼ですね。国益のためには非情な手段も辞さない。日本人にはなかなかできないことです。