さらには、我が国の政治の実権が天皇(=朝廷)から武家へと移動した「鎌倉幕府の成立」も、源頼朝(みなもとのよりとも)が朝廷から征夷大将軍に任じられ、名実ともに実権が移譲された1192年ではなく、まるで「ならず者が断りもなく強引に自己の実権をアピールした」1185年の守護・地頭の設置や、1189年の奥州藤原氏滅亡をその起源としている教科書も見られます。
我が国の近年における歴史教育は、なぜこのように変節してしまったのでしょうか。その背景に、昭和57(1982)年に起きた教科書誤報事件をきっかけとする「近隣諸国条項」があることは疑いないですが、それよりももっと大きな「歴史の流れ」が存在していることを皆さんはご存知でしょうか。
その詳細については、9月に行う予定の「第50回歴史講座」で分かりやすく解説する予定ですので、今しばらくお待ちください。まずは、明日(8月3日)からブログ上で始まります「第49回歴史講座」をお楽しみいただければと思います。





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ぴーち こんばんは!
聖徳太子は存在しなかったという説は
歴史に無頓着な私も少しだけ耳にしたことが有ります。
日本は余りにも諸外国に気を遣い過ぎてしまうのでは無いでしょうか?
特に近隣のアジア諸国の顔色を伺ってばかり
居る気がしてなりません。
それが本当の事であれば、誰に何を言われても
貫き通す気概を日本は持って頂きたいものです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 日本は余りにも諸外国に気を遣い過ぎてしまうのでは無いでしょうか?
> 特に近隣のアジア諸国の顔色を伺ってばかり
> 居る気がしてなりません。
> それが本当の事であれば、誰に何を言われても
> 貫き通す気概を日本は持って頂きたいものです。
仰るとおりです。我が国の歴史を否定する国は、世界広しと言えども「特定アジア」3ヵ国しかありません。
何の遠慮がいると言うのでしょか。
聖徳太子は存在しなかったという説は
歴史に無頓着な私も少しだけ耳にしたことが有ります。
日本は余りにも諸外国に気を遣い過ぎてしまうのでは無いでしょうか?
特に近隣のアジア諸国の顔色を伺ってばかり
居る気がしてなりません。
それが本当の事であれば、誰に何を言われても
貫き通す気概を日本は持って頂きたいものです。
> 特に近隣のアジア諸国の顔色を伺ってばかり
> 居る気がしてなりません。
> それが本当の事であれば、誰に何を言われても
> 貫き通す気概を日本は持って頂きたいものです。
仰るとおりです。我が国の歴史を否定する国は、世界広しと言えども「特定アジア」3ヵ国しかありません。
何の遠慮がいると言うのでしょか。