しかも、先述したケロッグ国務長官の「経済封鎖は戦争行為そのものである」という言葉を借りれば、先の石油禁輸の例を出すまでもなく、ハル・ノートによってアメリカは我が国に対して侵略戦争を先に仕掛けたも同然であり、我が国が対米開戦に踏み切ったのも無理からぬことではありました。
ハル・ノートを突き付けられた東條内閣は、半年以上続けてきた日米交渉を断念し、昭和16(1941)年12月1日の御前会議において、ついに「開戦のご聖断」が下りました。なお、戦争開始の閣議決定の裁可を求められた昭和天皇は、ご自身のお気持ちを封印され、立憲君主制に基づく大日本帝国憲法の規定どおりにお認めになられました。
昭和天皇のご意志であった「対米戦争回避」を実現できなかった東條首相は、開戦日(12月8日)の未明に首相官邸の自室において、皇居に向かって号泣しながらお詫びしたと伝えられています。
一般的な歴史認識においては「東條英機こそ日本を戦争に巻き込んだ重大な戦争犯罪人である」とされることが多いですが、前任の第三次近衛内閣が「戦争の決断をしたくない」とばかりに無責任に政権を投げ出した後に国論をまとめ上げ、ギリギリまで戦争回避に努力したという「歴史の真実」を、私たちはどのように評価すべきでしょうか。
※下記の映像は7月30日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
そうですよね。
東條英機は後にA級戦犯者とされた人でしたよね?
そういう止むに止まれぬ断腸の思いがそこに
あった訳ですか。
最終的に自殺を図る場面を映画やドラマで何度か
観たことが有りましたが、死にきれなかった様ですね。
自分一人の責任では賄いきれない程の
尊い命が失われた戦争ですが、それでも
彼の心の中は常に苦渋に満ちて居たのでしょうね。
最高責任者に任命されたが故の苦悩ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、自分が首相の際に開戦しなければならなかった彼の苦悩は察するに余りあると思います。
東條英機氏を戦犯と決めつけるのはたやすいですが、同じ日本人であれば、彼の心情をくみ取る配慮も必要ではないでしょうか。
象嵌師 はじめまして、 ブログを拝見させていただきました。 日本の為に素晴らしい活動をしていただき、 ありがとうございます。 東条英機をはじめとする先人の方々の汚名をはらすべく、 これからもよろしくお願いいたします。
象嵌師さんへ
黒田裕樹 こちらこそ、拙ブログへお越しくださり、有難うございます。
過分のお褒めのお言葉、光栄です。今後ともよろしくお願いいたします。
そうですよね。
東條英機は後にA級戦犯者とされた人でしたよね?
そういう止むに止まれぬ断腸の思いがそこに
あった訳ですか。
最終的に自殺を図る場面を映画やドラマで何度か
観たことが有りましたが、死にきれなかった様ですね。
自分一人の責任では賄いきれない程の
尊い命が失われた戦争ですが、それでも
彼の心の中は常に苦渋に満ちて居たのでしょうね。
最高責任者に任命されたが故の苦悩ですね。
東條英機氏を戦犯と決めつけるのはたやすいですが、同じ日本人であれば、彼の心情をくみ取る配慮も必要ではないでしょうか。
過分のお褒めのお言葉、光栄です。今後ともよろしくお願いいたします。