頼みの綱だった首脳会談が幻に終わり、対米交渉の外交期限も近づいた同年10月18日、近衛首相は「政権を投げ出す」という無責任なかたちで内閣を総辞職してしまい、新たに東條英機(とうじょうひでき)内閣が誕生しました。
ところで、これまでに述べた歴史の流れを振り返れば「アメリカが我が国を大東亜戦争に追い込んだ」という見方も成立しそうですが、これは「日本が一方的に侵略した」という「自虐史観」と表裏一体をなすものでしかありません。
我が国は、最終的にアメリカと大東亜戦争を戦うことになりましたが、実はソ連と戦争する可能性もあったことをご存知でしょうか。その分水嶺となったのは「北進論」と「南進論」の選択であり、またその決め手となったのが「ソ連によるコミンテルンの謀略」でした。
※下記の映像は7月20日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは
こうして流れを拝見していると
最悪な出来事と言うのは、何か一つだけ
要素が欠如してしまったからではなく、
幾重にも悪いことが重なった結果として
もたらされるものなのだなと改めて思いました
しかしながら、その一つでも良いキッカケが
あれば、最悪からは救われたかも知れないと
思うと残念でなりません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですよね。
我が国が日米開戦を決意するまでに「ここで別の決断をしていれば…」と思える場面が何度もありました。
しかし、現実には「そうはさせない」という動きもあったんですよね。それは何かというと…。
こうして流れを拝見していると
最悪な出来事と言うのは、何か一つだけ
要素が欠如してしまったからではなく、
幾重にも悪いことが重なった結果として
もたらされるものなのだなと改めて思いました
しかしながら、その一つでも良いキッカケが
あれば、最悪からは救われたかも知れないと
思うと残念でなりません。
我が国が日米開戦を決意するまでに「ここで別の決断をしていれば…」と思える場面が何度もありました。
しかし、現実には「そうはさせない」という動きもあったんですよね。それは何かというと…。