一方、アメリカのフランクリン=ルーズベルト大統領も「攻撃を受けた場合を除いて絶対に戦争はしない」と公約して三選を果たしたものの、ニューディール政策の行きづまりもあって経済が疲弊(ひへい)し、失業者が増加していました。
これらを打開するため、チャーチルとルーズベルトが手を組み、まず日本に先に攻撃させるかたちによって日米間で戦争を起こさせ、その後に日本と同盟関係にあるドイツとアメリカが戦えるように仕向けたのではないかと考えられているのです。
実際、アメリカによって昭和15(1940)年に日米通商航海条約を廃棄させられた我が国は、物資や石油などの重要な資源の不足に悩まされたことで、蘭印(=オランダ領東インド、現在のインドネシア)に対して戦略物資の輸入交渉を続けましたが、先述のとおり、アメリカやイギリスとつながっていたオランダによって、交渉は暗礁(あんしょう)に乗り上げました。
このため、我が国はフランスに対し、植民地である仏印(=フランス領インドシナ、現在のベトナム・ラオス・カンボジアに相当)の南部に日本軍を進駐させるよう交渉を続けました。南部仏印を含む南洋ルートは、ゴムや錫(すず)などの天然資源が豊富であり、コメの生産も盛んでした。我が国にとって、南部仏印が英米に占領される前に自国の軍隊を進駐させ、ゴムやコメの供給地を確保するという手段は、当時の国際通念上に照らしても当然の自衛行為でした。
※下記の映像は7月20日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
なんと!
英国が黒幕に控えていたとは
驚きました!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 世界情勢は、時として不条理です。
米英が一緒になって日本叩きをすることで、我が国がますます追いつめられたんですよね…。
なんと!
英国が黒幕に控えていたとは
驚きました!
米英が一緒になって日本叩きをすることで、我が国がますます追いつめられたんですよね…。