我が国は蒋介石への援助を断ち切るため中国の沿岸を封鎖しましたが、各国は日本軍の勢力範囲外の陸路を通じて援助を続けました。なお、これらの陸路を当時は「援蒋(えんしょう)ルート」と呼んでいました。
援蒋ルートの主なものには仏印(=フランス領インドシナ、現在のベトナム・ラオス・カンボジアに相当)ルートやビルマルート・西北ルート・南支ルートの4つがありましたが、このうち最も重要だったのは仏印ルートであり、全ルートの半分以上の輸送量を占めていました。
我が国はフランスに対して仏印ルートによる援助行為を禁止するよう申し入れましたが、フランス政府は容易に承諾しようとしませんでした。しかし、1940(昭和15)年にフランスがドイツに降伏すると、仏印ルートの封鎖を認めるようになり、2ヵ月に及ぶ外交交渉の末に協定が成立し、これに基づいて我が国は日本軍を仏印に進駐させました。これを北部仏印進駐といいます。
我が国による北部仏印進駐は、ドイツに降伏した後のフランス政府であるヴィシー政権との間に結ばれた合法的なものでしたが、我が国に対する態度を硬化させていたアメリカはこれに反発し、イギリスに亡命していたド=ゴール政権こそがフランスの正当なる政府であるという口実で、我が国に対するくず鉄・鉄鋼の輸出禁止の方針を発表しました。
※下記の映像は7月20日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
この援助や援護に関しては確かに傍迷惑になることが
有るでしょうね。
北朝鮮への支援問題で日本も以前は揉めていましたが、やはり経済制裁は何故行うのかという意義を
各国がもう少し突っ込んで考えなければいけませんよね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
経済制裁ができなければ、いつまでも相手をのさばらせることになりますから、当時の我が国が取った行動は当たり前のはずなのですが…。
アメリカが親中派になった隠れた理由
青田です。 黒田先生
青田です。
アメリカの異常なほどの親中の理由は
もう、一つあります。
フランクリン・ルーズベルト大統領は
先祖が中国人奴隷貿易で巨万の富を築いたことに
罪悪感を抱き、終生、親中派政治家を貫きます。
異常です。
青田さんへ
黒田裕樹 確かに呆れかえる話ですね。
自分の意思を優先して国益を損なうとは…。
本来なら、これで詰めでした。
青田です。 黒田先生
青田です。
本来なら、重慶に蒋介石が遷都した段階で、
将棋言えば、詰めでした。
三国志の時代でいえば、日本が魏・呉を制圧して
蒋介石が蜀の国で、追い詰められている状況です。
援蒋(えんしょう)ルートさえなければ、これで
日本の勝利で、終わりでした。
ルーズベルトの日本憎しは、執念に近いものがあります。
青田さんへ その2
黒田裕樹 仰るとおりだと思います。
この援助や援護に関しては確かに傍迷惑になることが
有るでしょうね。
北朝鮮への支援問題で日本も以前は揉めていましたが、やはり経済制裁は何故行うのかという意義を
各国がもう少し突っ込んで考えなければいけませんよね。
経済制裁ができなければ、いつまでも相手をのさばらせることになりますから、当時の我が国が取った行動は当たり前のはずなのですが…。
青田です。
アメリカの異常なほどの親中の理由は
もう、一つあります。
フランクリン・ルーズベルト大統領は
先祖が中国人奴隷貿易で巨万の富を築いたことに
罪悪感を抱き、終生、親中派政治家を貫きます。
異常です。
自分の意思を優先して国益を損なうとは…。
青田です。
本来なら、重慶に蒋介石が遷都した段階で、
将棋言えば、詰めでした。
三国志の時代でいえば、日本が魏・呉を制圧して
蒋介石が蜀の国で、追い詰められている状況です。
援蒋(えんしょう)ルートさえなければ、これで
日本の勝利で、終わりでした。
ルーズベルトの日本憎しは、執念に近いものがあります。