なぜなら、広大な中国大陸での全面的な戦闘状態となれば、大陸に多数の兵力などを投入しなければならなくなり、同じアジアの脅威であったソ連などに対する備えが不十分になる恐れがあったからです。
我が国の戦力の限界を考慮した陸軍の参謀本部は、昭和13(1938)年1月11日に昭和天皇ご臨席のいわゆる御前会議が開かれた際に「支那事変処理根本方針」を示すなど、あくまで和平による事変解決に望みをつないでいました。
しかし、その直後にトラウトマンを通じて蒋介石側から誠意のない回答が送り付けられたことから、我が国では、政府が主体となって国民政府との交渉打ち切りに向けて突き進むことになるのです。
※下記の映像は7月13日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
お話を伺っていると
昭和天皇は大変なご苦労が有りましたね。
そして、天皇という存在の偉大さを
改めて感じました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 昭和天皇は常に平和的解決を望まれておられました。
仰るとおり、かけがえのない素晴らしいご存在だと思います。
日本の陸軍の基本方針
青田です。 黒田先生
青田です。
日本陸軍は、『ノータッチというタッチ』(居留民の安全の確保のみ)
を考えていました。
実は、これは、明治以来の伝統です。
伊藤博文は、日清戦争で、首都北京攻略が見えてきたところで和議を結びました。
日露戦争でもロシアを北満州に追い返し、満州における日露の権益を確保しつつ、清国の主張を確認しました。
それは、中国大陸に深入りすると碌なことは
ないことを当時の日本(特に陸軍)は、知っていたからです。
シナでは、どんな王朝も300年以内で滅んでいることを、それにたいして、日本は、二千年間一度も歴史が途絶えたことがないことを日本の陸軍は、知っていました。
それゆえ、外交で、『ノータッチというタッチ』が基本姿勢でした。
なぜか、今の日本の歴史教科書では、全く、このことが書かれていません。
青田さんへ
黒田裕樹 確かに仰るとおりですね。
私たちは自国の歴史をまだまだ知りません。
お話を伺っていると
昭和天皇は大変なご苦労が有りましたね。
そして、天皇という存在の偉大さを
改めて感じました。
仰るとおり、かけがえのない素晴らしいご存在だと思います。
青田です。
日本陸軍は、『ノータッチというタッチ』(居留民の安全の確保のみ)
を考えていました。
実は、これは、明治以来の伝統です。
伊藤博文は、日清戦争で、首都北京攻略が見えてきたところで和議を結びました。
日露戦争でもロシアを北満州に追い返し、満州における日露の権益を確保しつつ、清国の主張を確認しました。
それは、中国大陸に深入りすると碌なことは
ないことを当時の日本(特に陸軍)は、知っていたからです。
シナでは、どんな王朝も300年以内で滅んでいることを、それにたいして、日本は、二千年間一度も歴史が途絶えたことがないことを日本の陸軍は、知っていました。
それゆえ、外交で、『ノータッチというタッチ』が基本姿勢でした。
なぜか、今の日本の歴史教科書では、全く、このことが書かれていません。
私たちは自国の歴史をまだまだ知りません。