戦闘状態が長くなればなるほど、たとえ守り切ったとしても周囲は火の海あるいは瓦礫(がれき)の山となって都市機能が完全に麻痺(まひ)しますし、流れ弾に当たるなど一般市民も犠牲になりやすくなります。そんな大きな被害を受けるくらいならば、いっそのことあっさりと敵に開放して、後日に奪還すべく力を蓄えて捲土重来(けんどちょうらい)を期した方が、はるかに得策というものではないでしょうか。
実際、この後勃発した第二次世界大戦においても、フランスの首都であるパリにドイツ軍が迫った際に、フランスの指導者がパリを「オープン・シティ」にすることによって破壊を免れていますし、我が国も戊辰戦争の際に旧幕臣の勝海舟(かつかいしゅう)が江戸を無傷で明け渡すことによって、その後の江戸改め東京に首都としての機能を持たせることに成功しています。
では、南京攻略が目の前に迫った際に、蒋介石は何をしたのでしょうか。実は、彼は日本軍による降伏勧告に応じるどころか、20万人近くの南京市民を置き去りにしたまま、夜陰に乗じて南京を脱出してしまったのです。
※下記の映像は7月13日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
己の良心に従った政治を行った結果の
統治なら、安心して仕切る事も出来たでしょうが
人々を苦しませ、悲しませた後の悪政であれば
いづれ自分の命も奪われて当然なのでは無いかという
恐れが心にあったのかも知れませんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、報復を恐れたというわけですね。
いずれにせよ、国民を無視したひどい話です。
己の良心に従った政治を行った結果の
統治なら、安心して仕切る事も出来たでしょうが
人々を苦しませ、悲しませた後の悪政であれば
いづれ自分の命も奪われて当然なのでは無いかという
恐れが心にあったのかも知れませんね。
いずれにせよ、国民を無視したひどい話です。