そこで翌12月1日に国民政府の首都である南京を攻略する決断を下したのですが、その背景には「首都である南京を押さえれば蒋介石(しょうかいせき)も講和に応じるだろう」という期待感がありました。要するに、長期化しつつあった日華事変を打開するために、我が国は首都攻略という手段を選んだのであり、そこに領土的野心が存在する余地は全くなかったのです。
さて、首都攻略を決意した日本軍でしたが、その行動は実に慎重でした。いきなり南京を攻めるようなことをせず、籠城する国民政府軍に投降勧告を行って退却をうながし、彼らが拒否をしてから攻め込んだのです。
なぜなら、我が国と中国との戦いは当時の世界各国が注目しており、決して親日とは言えない外国人ジャーナリストも日本軍の一挙手一投足に注視していたからです。南京攻略の責任者であった松井石根(まついいわね)陸軍大将も「後世の模範となるような行動をとるべし」と、軍規の徹底を呼びかけていました。
※下記の映像は7月13日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
今日のお話は、いかにも日本的な
考えの元、行われた手段ですね!
その行動が吉と出るか・・あるいは・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そのとおり、いかにも日本的です。
ということは、あくまでも常識的な支配をもたらすはずですが…。
今日のお話は、いかにも日本的な
考えの元、行われた手段ですね!
その行動が吉と出るか・・あるいは・・
ということは、あくまでも常識的な支配をもたらすはずですが…。