しかし、担当者の名前から「船津(ふなつ)和平工作」とよばれたこの交渉は、我が国の軍人が殺害される事件が起きるなどして失敗に終わったばかりか、通州事件から間もない昭和12(1937)年8月12日に、国民政府軍が日本総領事館と商社の電話線を切断し、翌13日には上海の租界から外に通じる道路をすべて遮断(しゃだん)して、多くの日本人や中国人を含む一般市民が逃げられないように閉じ込めたうえで一方的な攻撃を開始しました。これを第二次上海事変といいます。
事変発生時、上海の日本軍は海軍陸戦隊の約4,000名しかおらず、もし陸戦隊が全滅して国民政府軍の租界への侵入を許せば、第二の通州事件として大虐殺が起きるのが目に見えていたことから、我が国は同日のうちに陸軍2個師団の派遣を決定しましたが、2個師団は同月23日にようやく上海に到着しました。
このため、我が国の海軍陸戦隊は10日近くも10倍以上の敵兵相手に奮戦することとなってしまいました。何とか全滅は免れて「上海大虐殺」という最悪の事態は防げたものの、上海が列強の共同租界であったため、日本人や中国人、あるいは欧米人を含む約3,600名が死傷するという悲劇となってしまったのです。
※下記の映像は7月3日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
中国人、米国人を含んだとしても
当初の10分の1ほどの生存者しか残らなかったのですか!
今の日本の人口が約1億人としたら・・
10分の1で見てみると
1000万人程の人口に減ってしまう・・
(勘違いだったらもすみませんm(__)m)
規模は違えども、日本の人口に換算してみると恐ろしい数字の人間が殺害されたことになりますねぇ・・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 4,000名は海軍陸戦隊の人数ではありますが、多数の人命が奪われたことに変わりはないですからね。
しかもその方法が…。
中国人、米国人を含んだとしても
当初の10分の1ほどの生存者しか残らなかったのですか!
今の日本の人口が約1億人としたら・・
10分の1で見てみると
1000万人程の人口に減ってしまう・・
(勘違いだったらもすみませんm(__)m)
規模は違えども、日本の人口に換算してみると恐ろしい数字の人間が殺害されたことになりますねぇ・・・
しかもその方法が…。