拉致事件は、昭和52(1977)年9月のダッカ日航機ハイジャック事件が起きた際に、福田赳夫(ふくだたけお)首相(当時)が「人命は地球より重い」とテロリストの脅迫(きょうはく)に屈した以後に急増し、同年11月には、当時中学1年生だった横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されました。
その後、昭和55(1980)年に産経新聞が「アベック失踪(しっそう)事件に外国情報機関が関与の疑い」と題し、拉致事件に関して初めて報道しましたが、日本政府の事件への取り組みは遅く、昭和63(1988)年3月になって、国会が「アベック行方不明事犯は北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と、初めて公的に拉致事件の存在を認めました。
そして、韓国に亡命した北朝鮮元工作員の証言から、平成9(1997)年2月に国会の予算委員会で、西村眞悟(にしむらしんご)衆議院議員(当時)が「横田めぐみさんらが北朝鮮に拉致されている」と質疑を行ったことをきっかけに、大手マスコミがこぞって報道するようになりました。
「当時13歳の中学生の少女が外国の情報機関によって無惨(むざん)にも拉致された」という悲しい事実が、国民に大きな衝撃を与えるとともに、拉致事件が広く知れわたる流れをもたらしたのです。その意味においても、西村氏の功績は、我が国の国益に照らして非常に大きなものがあったと言えるでしょう。
※下記の映像は6月3日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
今騒がれているロヒンギャ族の問題では有りませんが、日本もかつては先住民だった者を追放して
大陸から来た民族がやがて日本人になっていったという話を耳しましたが、人間はその立場になると酷い仕打ちも平気になるものだなと思いました。
そのロヒンギャの人達も、家族で一緒に逃げたにも関わらず、途中で生き別れて散り散りになってしまったと嘆いていた姿が印象的でした。
一度別れてしまったので家族の安否も全くわからず
きっとそれで一生家族とは会えない生涯を過ごさなければならないのだろうと思うと、こちらまで悲しく思えて来ます。
世界にはそういう理不尽な別れ方をしなければならない話が沢山あり過ぎるのがまた辛い所ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 日本人のDNAを調べた場合、いわゆる大陸の人間とは全く異なっていることから、日本人の先祖が先住民を追い出したかどうかはともかくとしまして、見ず知らずの人間にいきなり拉致されて、何十年も親元を離れて暮らさねばならないという理不尽さは、筆舌に尽くしがたいものがあると思います。
今騒がれているロヒンギャ族の問題では有りませんが、日本もかつては先住民だった者を追放して
大陸から来た民族がやがて日本人になっていったという話を耳しましたが、人間はその立場になると酷い仕打ちも平気になるものだなと思いました。
そのロヒンギャの人達も、家族で一緒に逃げたにも関わらず、途中で生き別れて散り散りになってしまったと嘆いていた姿が印象的でした。
一度別れてしまったので家族の安否も全くわからず
きっとそれで一生家族とは会えない生涯を過ごさなければならないのだろうと思うと、こちらまで悲しく思えて来ます。
世界にはそういう理不尽な別れ方をしなければならない話が沢山あり過ぎるのがまた辛い所ですね。