また、当時の国会で審議されていた警察官職務執行法の強化や教員の勤務評定などをめぐって、岸内閣は革新勢力と対立していましたが、これらと同時期に新安保条約の調印が行われたため、条約を批准する国会審議において、与野党の意見が激突しました。
このため、岸内閣はやむを得ず昭和35(1960)年5月19日に衆議院で条約批准案を野党欠席のまま強行採決に踏み切りましたが、これを契機として、院外の安保改正阻止闘争(安保闘争)は激しさを増し、安保改定阻止国民会議や全日本学生自治会総連合(=全学連)による10万人を超えるデモ隊が、連日のように国会を取り囲むようになりました。
そして、6月15日には全学連主流派の約1万人が国会に乱入し、警官隊と衝突して死者を出す惨事となってしまったのです。
※下記の映像は6月3日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
岸総理と言えば、今の安部総理の祖父にあたる
方でしたよね?
随分と強引な手段で物事を進めようとした革新的な総理だったのですね。
それでもやはり国民をある程度納得させるというこは、時間と根気が必要でしたね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、時間と根気が必要だったのは言うまでもないことですが、それを見越して反発勢力が活気づいたというのもありますからね…。そう考えれば、安倍首相は実にうまく政権を運営していると思います。
岸総理と言えば、今の安部総理の祖父にあたる
方でしたよね?
随分と強引な手段で物事を進めようとした革新的な総理だったのですね。
それでもやはり国民をある程度納得させるというこは、時間と根気が必要でしたね。