ドイツに戦力を集中されることを恐れたイギリス・フランス・イタリアの三国は、当時シベリアで孤立していたチェコスロバキア軍を救援するという目的で、我が国にシベリアへの出兵を要請してきましたが、出兵によってアメリカをこれ以上刺激したくなかった我が国はこれを拒否しました。
その後、チェコ軍が危機に陥(おちい)っているという情報が流れて、アメリカ国内でチェコ軍の救援に向けて派兵すべしとの世論が高まり、アメリカが我が国に共同出兵を要請してきたことで、当時の寺内正毅(てらうちまさたけ)内閣がようやく重い腰を上げて、大正7年8月にアメリカ・イギリス・フランスとともにシベリアへ派兵しました。これをシベリア出兵といいます。
しかし、出兵に際してそれぞれの思惑を持っていた各国は意思の疎通(そつう)を欠き、特に我が国はアメリカと激しく対立しました。なぜなら、アメリカが出兵した本音が「日本が満州北部やシベリアに進出するのを防止すること」であったのに対して、我が国には「ソビエトによる共産主義支配の危機が迫った満州を守る」という強い意思があったからです。
シベリア出兵は思ったよりもはかばかしい効果があげられないまま、大正9年初頭には各国が撤兵を開始しました。我が国もアメリカからの共同出兵打ち切りの報を受けて、撤兵への機運が高まりましたが、そんな折にとんでもない惨劇が起きてしまいました。
※下記の映像は5月1日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
このシベリア出兵に関しては、たまにテレビの特集などで帰還した元兵士の方の生々しい体験談を耳にしますが、その悲惨な話を聞かされる度に、居たたまれない思いで聞いています。
実際にその場に行かされるのも人間。それを命じているのも人間。同じ人間なのにどうしてこうも違いがあるのかと憤りを覚えます。
指示するだけなら、簡単でしょうけれど
実際に命を落とされた方を思うと、なんとも言えません。国同士の思惑の為に命が犠牲になることがあってはならないなと改めて思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ぴーちさんの仰る内容は、ひょっとすると大東亜戦争終結後に旧ソ連が行ったシベリア抑留かもしれませんが、いずれにせよ悲劇であることに変わりはないと思います。
特に今回、すなわちシベリア出兵の場合は、余りにも一方的な記述が多いことがさらに問題ですね。
ぴーち おはようございます!
内容をよく把握して居なかった様ですね(^_^;)
失礼しましたm(_ _)m
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 いえいえ、どうぞお気になさらずに。
今後ともよろしくお願いします。
このシベリア出兵に関しては、たまにテレビの特集などで帰還した元兵士の方の生々しい体験談を耳にしますが、その悲惨な話を聞かされる度に、居たたまれない思いで聞いています。
実際にその場に行かされるのも人間。それを命じているのも人間。同じ人間なのにどうしてこうも違いがあるのかと憤りを覚えます。
指示するだけなら、簡単でしょうけれど
実際に命を落とされた方を思うと、なんとも言えません。国同士の思惑の為に命が犠牲になることがあってはならないなと改めて思います。
特に今回、すなわちシベリア出兵の場合は、余りにも一方的な記述が多いことがさらに問題ですね。
内容をよく把握して居なかった様ですね(^_^;)
失礼しましたm(_ _)m
今後ともよろしくお願いします。