日露戦争の敗北は、ロシアを支配していたロマノフ王朝にとって大きなダメージとなっていましたが、その後も第一次世界大戦でドイツに敗北を重ねたことや、生活物資の不足にあえいだことなどによって不満を爆発させた民衆が、1917(大正6)年3月に大規模な暴動を起こし、それがきっかけとなって、ついにロマノフ王朝が倒されました。これを三月革命といいますが、ロシアが当時使用していた暦に合わせて二月革命とも呼ばれています。
三月(=二月)革命後のロシアは不安定な政治情勢が続きましたが、その中から勢力を拡大したのは、共産主義を標榜(ひょうぼう、主義・主張や立場などを公然と表すこと)するレーニンでした。マルクスに由来する「貧富の差を憎むとともに私有財産制を否定して、資本を人民で共有する」という耳に心地よい思想が、それまでの長い帝政に苦しめられてきたロシアの民衆の熱烈な支持を集めたのです。
かくしてレーニンは、1917年11月にクーデターによって政治の実権を握ることに成功し、世界で初めての社会主義(=共産主義)政権であるソビエト政権を樹立しました。これを十一月革命、またはロシアの暦に合わせて十月革命といいます。
ソビエト政権は、1922(大正11)年にソビエト社会主義共和国連邦を成立させましたが、その裏でロマノフ王朝の一族をすべて処刑したばかりか、共産主義に賛同しないと見なした人民を数百万人も虐殺(ぎゃくさつ)するなど、血にまみれた恐怖政治を行い続けました。そして、広大な領土を持つ共産主義国家が突然誕生した現実は、我が国を含めた周辺諸国に甚大な影響を与えることになってしまうのです。
※下記の映像は5月1日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
今でもアメリカからの真綿攻撃は変わっていない気もしますね(^_^;)
共産主義に関しては、あまりにも極端な考え方に
傾倒している項目もあるので、首をかしげてしまう部分も有りますが、その極端な考え方が必要な時もあるとは思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 共産主義の考えの中には、社会保険制度などの有益なものもありますが、国家全体で行うことは、その後のソ連の失敗で明らかですからね。さて、この後我が国はどのような道を歩むのでしょうか…。
今でもアメリカからの真綿攻撃は変わっていない気もしますね(^_^;)
共産主義に関しては、あまりにも極端な考え方に
傾倒している項目もあるので、首をかしげてしまう部分も有りますが、その極端な考え方が必要な時もあるとは思います。