そんな彼らにとって、まさに「救いの神」となったのが、摂関家などの中央の有力貴族、または寺社でした。彼らは自己の所領を有力貴族や寺社に名目上(めいもくじょう、名前の上だけ、という意味)寄進(きしん、寄付と似た意味)して領家(りょうけ)となってもらい、自らは下司(げし)などの荘官(しょうかん)となりました。
寄進された領家では、保護をさらに強力なものとするために、自らよりもさらに上級の有力者に重ねて寄進することもあり、寄進された上級の領主は本家(ほんけ)と呼ばれました。開発領主たちはこのようにして荘官による所領の私的支配を強化するとともに、摂関家をはじめとする有力貴族や寺社には数多くの荘園が集中するようになりました。こうした荘園を、以前に紹介した初期荘園(しょきしょうえん)に対して寄進地系荘園(きしんちけいしょうえん)といいます。
尚、初期荘園は貴族や寺社が人手を使って自ら開墾したり(自墾地系荘園=じこんちけいしょうえん)、他人から買収したり(既墾地系荘園=きこんちけいしょうえん)した墾田(こんでん)からなり、付近の農民を使用して経営していたので、寄進地系荘園と対比する意味で墾田地系荘園(こんでんちけいしょうえん)とも呼ばれています。




いつも有難うございます。
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オバrev 寄らば大樹の陰と、結局大手の藤原氏に、下請け、孫請けが集まっていった感じですね。
こういう構図は、今も変わらず続いているような気もします。日本人の特性なのかもしれませんね┐(´∀`)┌
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 寄らば大樹の陰と、結局大手の藤原氏に、下請け、孫請けが集まっていった感じですね。
> こういう構図は、今も変わらず続いているような気もします。日本人の特性なのかもしれませんね┐(´∀`)┌
確かにそうですね。自分ひとりでは何もできずに周囲の力を頼りに大きな顔をするあたりは、現代の政治家との共通点もあるような気がします(´・ω・`)
歴史
JJSG こんばんは。
難しいですが、とっても勉強になりますね。
歴史って、楽しいですよね。
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JJSGさんへ
黒田裕樹 > 難しいですが、とっても勉強になりますね。
> 歴史って、楽しいですよね。
今日の記事は語句が多いので、いつもよりもわかりづらくなっているかもしれませんが、近いうちに詳しく説明させてもらうことになると思いますので、また是非お越し下さい。
応援有難うございます。
こういう構図は、今も変わらず続いているような気もします。日本人の特性なのかもしれませんね┐(´∀`)┌
> こういう構図は、今も変わらず続いているような気もします。日本人の特性なのかもしれませんね┐(´∀`)┌
確かにそうですね。自分ひとりでは何もできずに周囲の力を頼りに大きな顔をするあたりは、現代の政治家との共通点もあるような気がします(´・ω・`)
難しいですが、とっても勉強になりますね。
歴史って、楽しいですよね。
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> 歴史って、楽しいですよね。
今日の記事は語句が多いので、いつもよりもわかりづらくなっているかもしれませんが、近いうちに詳しく説明させてもらうことになると思いますので、また是非お越し下さい。
応援有難うございます。