アメリカの思惑に気付いた我が国は、これに対抗する目的で、艦齢8年未満の戦艦8隻(せき)と巡洋戦艦8隻を常備すべく、八八艦隊の建造計画を推進していましたが、果てしない軍拡競争に疲れたアメリカは、やがて世界各国に海軍の軍備制限を呼びかけました。
かくして大正10(1921)年に、アメリカ大統領ハーディングが中心となって、海軍軍備制限と極東及び太平洋問題に関する国際会議がワシントンで開かれました。これは、今日ではワシントン会議と呼ばれています。
ワシントン会議には、アメリカや日本の他に、イギリス・フランス・イタリア・中華民国・オランダ・ベルギー・ポルトガルの計9ヵ国が参加して行われ、我が国からは、当時の海軍大臣で後に首相となった加藤友三郎(かとうともさぶろう)を全権とする代表団が派遣されました。
この会議によって、アメリカが大きな利益を得たのに対して、我が国は第二次世界大戦、あるいは大東亜戦争にもつながる国際社会での孤立を招くことになってしまうのです。
※下記の映像は4月20日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
個人的に軍事力を強化していくことには賛成しかねますが、アメリカは自国の力だけを糧にして
一番になろうと懸命に努力する所には凄さを感じます。目標を達成するためには、是非が非でも頑張ろうとする所が、強さを差し引いても
世界から一目置かれる理由の一つなのかも知れないと思いました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かにそうですね。「他国を押し退けてでも自国の発展に努める」という姿勢は、一目置かれると同時に、不必要な恨みも買ってしまいそうですが…。
日本の外交能力の欠如
青田です。 黒田先生
青田です。
この当時の日本の政治家の外交能力は
根本的に欠如していました。
明治時代に岩倉使節団は、ドイツのビスマルク首相から
「万国公法は列国の権利を保存する不変の法というが、
大国にとっては利があれば公法を守るだろうが、不利とみれば公法に代わって武力を用いるだろう。」という言葉を聞き、
当時の明治の政治家は、国際社会の本質を知り、
感動しました。
それれから、明治の政治家は、小国といえども
国際社会のバランサーとして、日英同盟という曲芸的な外交能力を発揮しました。
(伊藤博文、山縣有朋は、ビスマルクを大尊敬していました。)
ただ、第一次世界大戦の頃には、日本の政治家は、このビスマルクの言葉さえ、すっかり、忘れていた気がします。
この時に日本は、政党政治が根づき、学歴貴族が政治の中枢にいたのが、アメリカ、中国に振り回された気がします。
青田さんへ
黒田裕樹 確かにそのとおりですね、
ネタバレになりますが(笑)、今後は仰った内容を中心に展開することになります。
個人的に軍事力を強化していくことには賛成しかねますが、アメリカは自国の力だけを糧にして
一番になろうと懸命に努力する所には凄さを感じます。目標を達成するためには、是非が非でも頑張ろうとする所が、強さを差し引いても
世界から一目置かれる理由の一つなのかも知れないと思いました。
青田です。
この当時の日本の政治家の外交能力は
根本的に欠如していました。
明治時代に岩倉使節団は、ドイツのビスマルク首相から
「万国公法は列国の権利を保存する不変の法というが、
大国にとっては利があれば公法を守るだろうが、不利とみれば公法に代わって武力を用いるだろう。」という言葉を聞き、
当時の明治の政治家は、国際社会の本質を知り、
感動しました。
それれから、明治の政治家は、小国といえども
国際社会のバランサーとして、日英同盟という曲芸的な外交能力を発揮しました。
(伊藤博文、山縣有朋は、ビスマルクを大尊敬していました。)
ただ、第一次世界大戦の頃には、日本の政治家は、このビスマルクの言葉さえ、すっかり、忘れていた気がします。
この時に日本は、政党政治が根づき、学歴貴族が政治の中枢にいたのが、アメリカ、中国に振り回された気がします。
ネタバレになりますが(笑)、今後は仰った内容を中心に展開することになります。