しかし、我が国が日露戦争に勝利したという事実は、アメリカをして我が国に警戒感を植え付けせしむ結果をもたらしました。なぜなら、アメリカが東アジアにおける権益を得るためには、ロシアに勝つまでに強国となった日本の存在が目障りになるからです。
もっとも、アメリカ自身も当初は平和的な妥協の道を探っていました。我が国がポーツマス条約で得た長春(ちょうしゅん)以南のいわゆる南満州鉄道(=満鉄)に対して、アメリカの鉄道王のハリマンが、明治38(1905)年に我が国との共同経営を呼びかけたのです。
ハリマンの申し出は、いわば「満州の権益の一部をこちらにもよこせ」というアメリカの意思でもありました。これに対し、元老の井上馨(いのうえかおる)や伊藤博文(いとうひろぶみ)、あるいは首相の桂太郎(かつらたろう)らは、日米関係の安定を重視して共同経営に賛同しようとしました。
ところが、当時の外務大臣で、ポーツマス条約の全権大使でもあった小村寿太郎(こむらじゅたろう)が猛反対したことで、我が国はハリマンの申し出を断ったのです。
※下記の映像は4月10日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
日本がアメリカに先制攻撃を仕掛けたという
思いを抱かせた小さな芽はもしかしたら今日の
お話が発端だったのでしょうかね?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 日本がアメリカに先制攻撃を仕掛けたという
> 思いを抱かせた小さな芽はもしかしたら今日の
> お話が発端だったのでしょうかね?
直接のきっかけではないですが、アメリカにとって不満が高まったことは間違いないですね。
その後の歴史を見ると…。
日本がアメリカに先制攻撃を仕掛けたという
思いを抱かせた小さな芽はもしかしたら今日の
お話が発端だったのでしょうかね?
> 思いを抱かせた小さな芽はもしかしたら今日の
> お話が発端だったのでしょうかね?
直接のきっかけではないですが、アメリカにとって不満が高まったことは間違いないですね。
その後の歴史を見ると…。