先述のとおり、当時の我が国の外交上における最大の懸案は、諸外国に押し付けられた不平等条約の改正でしたが、その実現のためには国の基本法となる憲法を制定するのが当然であるとともに、憲法制定後も、政府主体による強い意志で引き続き政治を行う必要がありました。
このため、政府は我が国の元首であり長い歴史を誇る天皇の意味について深く考え、至高の権威をお持ちの天皇の名の下で政治を行う以外に、国民をまとめると同時に彼らの支持を得る方法はない、という結論に至りました。
だからこそ、明治憲法において「天皇が臣民に授ける」という欽定憲法の形式が採用されたのです。
※下記の映像は3月12日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
欽定=君主の命によって定めた憲法・・ですか
なるほど、その時には
そうせざるをえない理由があったからこその
憲法であったことがお話から分かりました。
有難うございますm(_ _)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 有難うございます。
物事には、必ずその理由というものがあります。結果だけを見て断罪するのではなく、大きな歴史の流れと言ったものを、これからも重視していきたいものですね。
欽定=君主の命によって定めた憲法・・ですか
なるほど、その時には
そうせざるをえない理由があったからこその
憲法であったことがお話から分かりました。
有難うございますm(_ _)m
物事には、必ずその理由というものがあります。結果だけを見て断罪するのではなく、大きな歴史の流れと言ったものを、これからも重視していきたいものですね。