当時(19世紀後半)のアジアは、帝国主義(=政治や経済、軍事などの面で他国の犠牲において自国の利益や領土を拡大しようとする思想や政策のこと)を標榜(ひょうぼう、主義や主張などをはっきりと示すこと)する欧米列強による植民地化が進んだ、いわゆる「草刈り場」と化しており、超大国と思われていた清国ですら、香港などの主要都市が列強の支配下に置かれてしまっていたのです。
このままでは我が国も他国の植民地とされてしまうのではないか、という危機感をもった明治政府は、欧米列強と肩を並べるためにも、一刻も早い近代国家の確立を目指さなければなりませんでした。
加えて、当時の我が国は列強と不平等条約を結ばされており、これらの条約を改正して、他国と対等な関係を構築するためにも、憲法などの近代的な法典の編纂(へんさん)を急がねばならなかったのです。
※下記の映像は3月12日までの掲載分をまとめたものです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
なるほど、植民地化を阻止する為に
性急に欧米列強と肩を並べるまでにならないと
いけない理由があった訳ですか。
それまでの太平の眠りが余りに長かったツケが
明治になり、一度に払われてしまったという事ですね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > それまでの太平の眠りが余りに長かったツケが
> 明治になり、一度に払われてしまったという事ですね。
仰るとおりですね。
条約改正の場合もそうでしたが、世の中のバランスは不思議なほど上手にできているようです。
なるほど、植民地化を阻止する為に
性急に欧米列強と肩を並べるまでにならないと
いけない理由があった訳ですか。
それまでの太平の眠りが余りに長かったツケが
明治になり、一度に払われてしまったという事ですね。
> 明治になり、一度に払われてしまったという事ですね。
仰るとおりですね。
条約改正の場合もそうでしたが、世の中のバランスは不思議なほど上手にできているようです。