このように10世紀後半から11世紀後半にかけて、藤原氏が摂政や関白を独占して行った政治のことを摂関政治(せっかんせいじ)といい、摂政や関白を出した家柄(いえがら)のことを摂関家(せっかんけ)といいます。
当時の国政では、天皇を後見する資格を持つ摂関家の意向が重視されました。摂関家はやがて天皇の下で働く役人の任免権をも占有するようになり、政治が私的な性格を帯びるとともに、他の貴族がこぞって摂関家に奉仕するようになりました。例えば、この頃には多くの荘園が藤原氏などの有力貴族に集中することになるのですが、その経緯はいずれ後述します。
また、一族による政治の独占は、必然的に官職の世襲化を進めることとなり、家柄によって官位の昇進が決められるようになりました。安倍晴明(あべのせいめい)で有名な陰陽道(おんみょうどう)も、安倍氏の世襲として後の世まで続いています。
こうして朝廷が藤原氏を中心に栄えていく一方で、地方の政治はほとんどかえりみられなくなっていきました。中央と地方との政治の矛盾が、やがては様々な問題となって噴き出していくことによって、来るべき新しい時代の原動力となっていったのです。
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オバrev 世襲とか中央と地方の矛盾とか、何か自民党の敗北か、建国60周年で賑わっているが実は内情は危ない中国みたいですね。
でも、権力を握ると周りが見えなくなってしまうのは、昔も今も変わらないんですね。
道長のあの歌は、権力者の絶頂期の共通した気持ちなのかも知れません。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 世襲とか中央と地方の矛盾とか、何か自民党の敗北か、建国60周年で賑わっているが実は内情は危ない中国みたいですね。
> でも、権力を握ると周りが見えなくなってしまうのは、昔も今も変わらないんですね。
まさに仰るとおりですね。現実が見えずに、いや見ようともせずに目先の享楽のみを追い求めようとする様子はそのまんまでしょう。このような矛盾だらけの政治は、遅かれ早かれ変革する時代が必ずやって来るのです。
> 道長のあの歌は、権力者の絶頂期の共通した気持ちなのかも知れません。
我が世の春を詠った気持ちですからね。ただ、満月はいつかは欠けていくものです。頼通の後の摂関家の運命はどうなっていくのでしょうか…。
紗那 摂関政治ですねー
このあたりは教科書でもちゃんと取り上げている有名なところですよね。うん。
外戚というだけで、こんなに権限を与えてしまうとは・・・
紗那さんへ
黒田裕樹 > 摂関政治ですねー
> このあたりは教科書でもちゃんと取り上げている有名なところですよね。うん。
そうですね。藤原道長も藤原頼通も有名ですからね。ただ名前だけ有名で、なぜ摂関家が栄華を極めたのかまではなかなか紹介されませんが…。
> 外戚というだけで、こんなに権限を与えてしまうとは・・・
即位された天皇からすれば、自分が天皇に在位できるのも藤原氏のお陰という現実がありますので、「外祖父」には頭が上がらないんですよ。そんな経緯につけこんで、少しずつ勢力を拡大していったというのが真相ですね。
でも、権力を握ると周りが見えなくなってしまうのは、昔も今も変わらないんですね。
道長のあの歌は、権力者の絶頂期の共通した気持ちなのかも知れません。
> でも、権力を握ると周りが見えなくなってしまうのは、昔も今も変わらないんですね。
まさに仰るとおりですね。現実が見えずに、いや見ようともせずに目先の享楽のみを追い求めようとする様子はそのまんまでしょう。このような矛盾だらけの政治は、遅かれ早かれ変革する時代が必ずやって来るのです。
> 道長のあの歌は、権力者の絶頂期の共通した気持ちなのかも知れません。
我が世の春を詠った気持ちですからね。ただ、満月はいつかは欠けていくものです。頼通の後の摂関家の運命はどうなっていくのでしょうか…。
このあたりは教科書でもちゃんと取り上げている有名なところですよね。うん。
外戚というだけで、こんなに権限を与えてしまうとは・・・
> このあたりは教科書でもちゃんと取り上げている有名なところですよね。うん。
そうですね。藤原道長も藤原頼通も有名ですからね。ただ名前だけ有名で、なぜ摂関家が栄華を極めたのかまではなかなか紹介されませんが…。
> 外戚というだけで、こんなに権限を与えてしまうとは・・・
即位された天皇からすれば、自分が天皇に在位できるのも藤原氏のお陰という現実がありますので、「外祖父」には頭が上がらないんですよ。そんな経緯につけこんで、少しずつ勢力を拡大していったというのが真相ですね。