しかし、後になって公募された市民による「市民委員会」がつくられると、条例に書かれていた「市民主体の自治」「市民の市政への参画」という文言を根拠として市民委員の一部のメンバーが行政についてしきりに口を出し始めたのです。
そればかりではなく、やがては市議会の場で市民委員会を批判した議員に対して、直接議事録から発言を削除しろと圧力をかけるメンバーまで現われるなど、市政が大混乱となりました。
その後、平成17(2005)年に埼玉県議会の会派である「地方主権の会」に所属していた元埼玉県議会議員が市長に当選すると、ようやく混乱は収拾されましたが、その背景には、新市長の誕生によって、市民委員会や彼らと同じ考えを持つ市議会の会派に市政が有利に展開するようになったからではないか、という見方もあります。
※下記の映像は2月15日までの掲載分をまとめたものです。





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ぴーち こんばんは!
福沢諭吉の「学問のすすめ」では
国民が学問をして、国民の学識が高まれば、政府も仕事がしやすくなって、国民は苦しめられず、政府の仕事はとどこおらず、お互いにうまく折り合うところを得て、太平を護ることができるであろう。・・と述べられていますが、その国民が
専門分野にまで首を突っ込みすぎてしまうのも、
こうした問題が起こるものなのでしょうね。
何処までが自分たちが守るべき守備範囲なのかを
見極めることをまずは認識していくことなのでしょかね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 朝廷が政治の実権を握っていた大昔も、武家による封建社会においても、明治憲法から日本国憲法の流れにおいても、為政者が国民の代表として政治を行ってきたのが我が国の歴史です。
それだけに、直接民主制のみならず、革命思想にもつながりかねない自治基本条例の流れは、相容れないものがありますね。
福沢諭吉の「学問のすすめ」では
国民が学問をして、国民の学識が高まれば、政府も仕事がしやすくなって、国民は苦しめられず、政府の仕事はとどこおらず、お互いにうまく折り合うところを得て、太平を護ることができるであろう。・・と述べられていますが、その国民が
専門分野にまで首を突っ込みすぎてしまうのも、
こうした問題が起こるものなのでしょうね。
何処までが自分たちが守るべき守備範囲なのかを
見極めることをまずは認識していくことなのでしょかね。
それだけに、直接民主制のみならず、革命思想にもつながりかねない自治基本条例の流れは、相容れないものがありますね。