また、宮澤内閣当時の平成4(1992)年には佐川急便事件が、翌平成5(1993)年にはゼネコン汚職事件が相次いで発覚し、国民の激しい非難を浴びたことから、選挙制度改革や政界再編を目指す動きが、与野党を巻き込んで見られるようになりました。
そんな中、宮澤首相が一度は実行を約束した政治改革に対して、そのための法案提出すらしなかったことから、野党が平成5年6月18日に内閣不信任案を提出すると、自民党から同調する議員が続出し、不信任案が可決されてしまいました。
宮澤首相は直ちに衆議院を解散しましたが、翌7月に行われた総選挙において、自民党は過半数を大幅に割り込む大敗を喫し、8月に日本新党(にほんしんとう)の細川護熙(ほそかわもりひろ)を首班とする、非自民8党派による連立内閣が成立しました。
細川内閣の成立によって、分裂した自民党は野党に転落し、40年近く続いた自民党による単独政権(ただし、新自由クラブとの連立政権も一時期は存在)は終わったのでした。これを55年体制の崩壊(ほうかい)といいます。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんばんは!
私は詳しい事情は全く存じませんが、
やはり同じ政党が半世紀もの長い間
主導権を握り続けていると、内部から
知らず知らずの間に
腐食が起きて来るのでしょうかね。
その都度、今何をするべきか、
何が起こっているのかという判断を
客観的なものの見方で
メンテナンスを行っていく事は必須なのかも
知れませんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに当時の自民党には、40年近くも政権を維持してきたことによる驕りが見られましたね。
だからこそ非自民の政権が誕生したのですが、我が国の不幸は完全な二大政党制が定着していなかったことでしょうか。
自民党に代わる受け皿が存在しなければ、かつての「某政党による悪夢の3年3か月」になってしまいますし…。
私は詳しい事情は全く存じませんが、
やはり同じ政党が半世紀もの長い間
主導権を握り続けていると、内部から
知らず知らずの間に
腐食が起きて来るのでしょうかね。
その都度、今何をするべきか、
何が起こっているのかという判断を
客観的なものの見方で
メンテナンスを行っていく事は必須なのかも
知れませんね。
だからこそ非自民の政権が誕生したのですが、我が国の不幸は完全な二大政党制が定着していなかったことでしょうか。
自民党に代わる受け皿が存在しなければ、かつての「某政党による悪夢の3年3か月」になってしまいますし…。